みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

カカオ豆の原産地と植民地への拡散、そしてフェアトレード ―バレンタインチョコとSDGs (その2)

バレンタインデーにちなんでチョコレートの話の続き。

 

前回に記したように、チョコレートは元々は今と違って飲用だった。

そして、現代のようなチョコレートの形状になったのは、オランダやイギリス、スイスなどの人々の発明と工夫による。

そのチョコレートの原料はカカオ豆で、生産量の第1位はコートジボワール、2位がガーナ、そしてインドネシアが第3位、ナイジェリアが第4位だ(総務省統計局「世界の統計2022」)。

 

現代ではアフリカの国々でカカオ豆の生産量が多いようだが、そもそもカカオの原産地はどこなのだろうか。

 

目次

 

チョコレートのふるさと

カカオの原産地は中米で、紀元前の古代、アステカ文明マヤ文明の頃、あるいはその前から栽培されていたともいわれている。

糖質に富んだ果肉とともに発酵したカカオ豆は、露天で乾燥した後に粉砕、焙煎され、トウガラシやバニラなどの香辛料とともに熱湯で混ぜられて、晩餐会などの飲み物になったという。

少なくとも、マヤ文明が栄えた頃にはカカオ豆からチョコレートが造られていたのは確かなようで、もともとは薬として珍重されていたようだ。

 

そして、貴重なうえ、軽量で耐久性もあるカカオ豆は、交易の際に金の代わりの貨幣代わりにも使用されていたという。

 

マヤ文明の都市ウシュマル遺跡(世界遺産)(メキシコ・ユカタン半島)。現在ではジャングルの中に埋没して点在している数々の遺跡は、雲間に浮かぶ天空の城ラピュタを彷彿とさせる。

ここウシュマルでも、古代の人々はチョコレートを味わったのだろうか。

 

 

左:魔法使いのピラミッド
右:総督の館(奥)と生贄の心臓を置く台チャックモール(手前)

ヨーロッパ列強のカカオ栽培

貨幣代わりに使用されたカカオ豆は、ラテンアメリカ全体に広まった。

しかし、チョコレートを既に造っていたマヤやインカの大帝国も、スペイン人などの征服者(コンキスタドール)によって破壊され、滅ぼされた。

 

インカ帝国の首都だったクスコ(世界遺産)(ペルー)では、隙間には剃刀の歯さえも入らないという堅牢なインカの石積みの上にキリスト教教会やコロニアル風建物が建設された。
コンキスタドールでさえも、堅牢な石積みを破壊することができなかったのだ。

 

中央部の黒っぽい平滑な石積みがインカ時代のもの(クスコにて)

トマトやジャガイモ、カボチャなど多くのラテンアメリカ原産の作物とともに、チョコレートもヨーロッパに伝えられた。

しかし、原料となるカカオは、トマトやジャガイモのようにヨーロッパで栽培されることはなかった。

 

カカオは熱帯性の植物だからで、ヨーロッパに原料を供給するために、原産地のラテンアメリカには、ヨーロッパ人によるカカオ農園が開かれた。

農園といっても、日陰を好むカカオの木の性質から、大規模な開けたプランテーションではなく、里山的な多樹種と混在した栽培が適しているようだ。

 

その後、ラテンアメリカの農園での病害発生でカカオの生産が落ちると、今度は同じくヨーロッパ諸国の植民地だったアフリカに生産の場が移った。

新たな生産地は、アフリカの中でもまだ植民地化の進んでいない中央アフリカや西アフリカが中心で、カカオ農園での労働は奴隷が担った。

19世紀の帝国主義の時代、ヨーロッパ列強による植民地の争奪戦が繰り広げられたが、チョコレートもこの争いに組み込まれていったのだ。

 

現在の高級チョコレートで有名なベルギーも、この争奪戦によってアフリカに植民地(コンゴルワンダなど)を獲得した国の一つだ。

世界のカカオ豆生産量第1位のコートジボワールは、かつて象牙海岸とも称されたフランス領西アフリカだった。

日本でチョコレートの製品名称にも付けられているガーナは、植民地となった西アフリカ黄金海岸の地域で、独立後の現在では世界第2位のカカオ豆生産国だ。

 

ヨーロッパ列強は、20世紀に入ってもカカオ生産による利益を求めて、アフリカだけではなく東南アジアなどでも栽培を広げた。

インドネシアは、前述のとおりガーナに次いで世界第3位のカカオ豆生産国となっている。(以上の生産国順位は、総務省統計局「世界の統計2022」)

中国やインドなどの経済力向上に伴い、これらの国でのチョコレート消費量も伸び、最近ではベトナムなど新たな地域での良質豆生産が注目されている。

 

チョコレートとフェアトレードSDGs

世界各地で生産が拡大したカカオ豆の価格は、近年では急暴落している。

その理由の一つは、ロンドンなどのカカオ市場でグローバル企業や投機家たちが少しでも低価格のカカオ豆を買付けようとすることによる価格競争だ。

また、先進国でのコマーシャリズムによる、チョコレートからキャンディーなど他商品への嗜好変化によるカカオ豆消費量の減少もある。

 

ガーナのカカオ農家は以前は安定した収入を得られたが、価格暴落により現在では経営できなくなり、首都アクラなどの都会には農村から出てきた職のない人々やストリート・チルドレンがあふれているという。

 

最近では、こうした生産地の人々の生活向上や環境保全にも配慮して、原料や製品を適正価格で継続的に買い付けて流通させる「フェアトレード」の仕組みが注目されている。

これが、地球上の誰一人も取り残さずより良い世界を目指す、2030年までに達成すべき17ゴール(目標)を示した「持続可能な開発目標(SDGs)」に合致する仕組みであり、経済・社会・環境のそれぞれを調和させ、先進国も含めたすべての国、さらには企業や自治体、市民一人ひとりが取り組むべき行動だ。

 

私たちがバレンタインチョコを選ぶときに、単に味わいやデザイン、ブランドイメージではなく、製品となるまでの原料生産(カカオ生産)から製造過程、さらにパッケージなどの廃棄処分までも考慮することが、SDGsの達成には求められるのだ。

SDGsピンバッジを背広の胸に輝かせるだけでは、単なるファッションに終わってしまう。

 

いや、バレンタインデーにSDGsチョコを選択するのがファッション(ブーム)でも、まぁいいか・・・な

 

この記事も、前回同様に拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の第1章「現代に連なる略奪・独占と抵抗」第2節「熱帯林を蝕む現代生活」に掲載の「ほろ苦いチョコレート」をもとに加筆修正しています。

 

チョコレートの話(歴史)がなぜ生物多様性と関連するのか?

カカオのほかゴムやコーヒー、チョウジなど、大航海時代以降の帝国主義・植民地時代と生物資源の話(歴史)はそのまま、現代の生物多様性条約・議定書などをめぐる先進国・多国籍企業と途上国の対立に繋がるのだ。

すなわち現代に連なる南北対立の萌芽は、コロンブス以降の大航海時代に始まるとも言えるだろう。

 

いずれにしても、

コンキスタドールなどの武力による征服は、歴史上の出来事だけではない。
現代の世界でも、ロシアのウクライナ侵攻など、武力による他国への侵攻・支配や同じ国内の少数民族の抑圧などが行われている。

政府・国家権力だけではない。
かつての(イギリスとオランダの)東インド会社がそうであったように、現代の多国籍企業は国家権力と同様、あるいはそれ以上の(見えない)力で、世界支配を企んでいるのだ。

 

生物資源が原産地から遠く離れた地に移された現場を訪れた旅路の話、さらに多国籍企業フェアトレードSDGsの話は、またの機会に!

 

先を急ぎたい方は、上記の拙著をご覧ください。
目次(構成)などの概要は、記事「『生物多様性を問いなおす』書評と入試問題採用」からご覧ください。

 

より深く知りたい方のご参考までに

チョコレートの歴史については多くの書籍が刊行されているが、例えば以下などがある。

 

ソフィー・D・コウ、マイケル・D・コウ(樋口幸子訳)『チョコレートの歴史』河出書房新社

武田尚子『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』中央公論新社