みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

光るメダカで逮捕者 ー遺伝子組換えとカルタヘナ法

遺伝子が組み換えられて体が赤色に光るメダカを違法に飼育するなどしたとして、メダカ販売店経営者など計5人が逮捕されたという(2013年3月8日、警視庁発表)。

カルタヘナ法による国の承認を受けずに、遺伝子組換え生物を飼育・販売などしたもので、同法による逮捕者は初めてだそうだ。

それでは、遺伝子組換え生物とは、そしてカルタヘナ法とは何か、みてみよう。

 

目次

 

品種改良

人類は古代から、野生の植物を農作物として栽培したり、鑑賞用の園芸種として栽培してきた。野生動物も、家畜や愛玩動物として飼育してきた。

その過程で、人類に都合の良い形質(たとえば植物であれば収穫量、耐病害虫性、味や見かけなど、動物であれば多産系、肉付き、搾乳量、従順さなど)を有するものを選択して子孫を残したり、掛け合わせ(交配)してきた。

これが、「品種改良」だ。

すなわち、品種改良は、人間にとって好ましい形態や性質などを持つ個体同士を繰り返して交配させて理想形に近づけていく方法であり、園芸植物や農作物、家畜などでは盛んに行われてきた。

この品種改良は、あくまでも受粉や受精など「自然の摂理」に基づいている。

確かに、レオポン(leopon)(雄ヒョウと雌ライオンの雑種)など、自然界では生じることのない種を人類は作り出した。

しかしそれは、地理的環境などにより自然界では交雑することはほとんどないだけで、同じネコ科同士で生物学的には近縁だ。また一代雑種F1には子孫を残す能力はく、仮に自然界に放出されても生態系には影響はないようだ。もっともこれも実際には、繁殖能力がないとも言い切れないようだから、話は複雑だが。

 

緑の革命

1940年代から60年代にかけて世界各地で行われた「緑の革命」は、穀物やジャガイモなどの高収量品種を導入して飢饉を救おうとする農業革命だ。

20世紀の第二次世界大戦後でも、東南アジア各国をはじめ世界では食糧不足に悩まされ、飢餓が蔓延していた。大戦後の日本も、途上国といわれる国々と同様に大変な食糧不足だった。その日本にやってきた連合国軍司令官ダグラス・マッカーサー進駐軍の中に、米国農務省天然資源局のコムギ専門家サミュエル・セシル・サーモンがいた。

サーモンは日本で16種類のコムギを収集したが、その中に「農林10号」という丈の低い短稈種(たんかんしゅ)の品種もあった。これが基となり、化学肥料を与えて2倍以上も収量が多くなっても倒れない短稈の新品種コムギが誕生した。

ロックフェラー財団の支援により、コムギのほかにもコメ、トウモロコシなどの高収量品種が誕生し、1960年代から80年代に発展途上国では生産量が飛躍的に増大し、飢餓も克服されたかにみえた。

米国の国際開発庁長官ウィリアム・ゴードは、この記録的な収穫量改善を「緑の革命」と名付けた(1968年)。

これを主導したノーマン・ボーローグ博士は、1970年にノーベル平和賞も受賞している。

一方で、世界銀行や各国の援助機関などに支援された途上国では、夢の高収量品種に改良されたコメやコムギ、トウモロコシなどを競って作付けしたが、同じ形質の作物を栽培するモノカルチャー(単一耕作)のために、ひとたび病虫害が発生すると作付けは全滅した。

また、収穫量増大のためと、矮性(わいせい)品種が日光をめぐって雑草に負けないようにするためには、大量の化学肥料や除草剤などの使用が必要となった。しかし同時に、これらによる土壌劣化も引き起こし、以前よりもかえって飢饉が激しくなった。

そのほか、農民の経済的負担増大と多国籍アグリビジネス企業との関係などもあり、緑の革命は今日では必ずしも成功との評価は与えられていない。

この詳しいことは、別の機会に!

いずれにしろ、緑の革命も、自然の摂理に従った品種改良の結果に負うところである。

 

遺伝子組換え

これに対して、「遺伝子組換え」は、遺伝情報を伝えるDNA内から人類が利用できる遺伝子を取り出して、全く別の生物のDNAに組み込む技術だ。

自然の摂理に則った”伝統的”な「品種改良」に対して、”近代的”な品種改良技術である「遺伝子組み換え」は、自然界では起こりえない生物種の生産をも可能にするもので、神の領域に踏み込んだともされる。

「遺伝子組み換え生物」(Genetically Modified Organism: GMO、Living Modified Organism: LMOなどと呼ばれているが、このブログ記事では、以下LMO。)は、「バイオテクノロジー(バイテク)」により遺伝子が改変された生物のことだ。

今回の光るメダカ事件では、ミナミメダカの遺伝子の一部がサンゴに由来するものに組み換えられ、赤色に光るのだという。展示会などでは、1匹5万円や10万円で売られているケースもあったようだ。

台湾の観賞魚販売業者タイコン社は、2001年にメダカに発光クラゲの緑色蛍光タンパク質遺伝子を組み込んで、全身が蛍光色を帯びる「エメラルドフィッシュ」を生み出した。

日本でも、発光クラゲの蛍光たんぱく質の遺伝子をカイコに組み込んだ「光る絹糸」が、1999年に京都工芸繊維大学で開発された。農業生物資源研究所ではクラゲのほかにサンゴの赤色やオレンジ色の蛍光タンパク質遺伝子を組み込むなど、様々な絹糸を開発している。

 

青いバラ

世界中の愛好家によって永年にわたり品種改良が重ねられてきた園芸植物バラでも、遺伝子組換え技術で自然界には存在しない青色のバラがサントリー社(日本)によって開発されている。

それまで、「青いバラ」は英語で、不可能なこと(存在しないもの)を意味するほどだった。

研究者は、青色の色素をもった植物の中から青色遺伝子(アントシアニン色素の中のデルフィニジン成分)を取り出して、バラに導入した。ペチュニアやパンジーの青色遺伝子を導入したが、残念ながら花は赤色や黒ずんだ赤色。

その後も、試行錯誤を繰り返し、2004年にやっと「青いバラ」の開発に成功した。1990年のプロジェクト開始から実に15年近くの歳月を要したことになる。

品種改良のバラ「ラプソディ・イン・ブルー」青というより紫(大船植物園にて購入)

本ブログでは、掲載画像は自撮り画像使用を原則としているため、光るメダカや青いバラの写真は掲載できません。悪しからず!

 

ノーベル賞のその後

ノーマン・ボーローグノーベル賞を受賞した緑の革命も、時間の経過とともに悪影響・弊害が明らかになってきた。

類似の例は、スイス人化学者パウル・H・ミュラーが有効性を発見して、世界中で大量に使用された殺虫剤DDTがある。これにより、ミュラー1984年にノーベル医学・生理学賞を受賞した。

しかし、有名なレイチェル・カーソン『サイレント・スプリング(沈黙の春)』(1962年)によって、その悪影響が告発された。現在、DDTは、先進国では製造・販売が禁止されているが、途上国では依然としてマラリア対策のために使用されている。

歴史の評価は難しい!

ノーベル賞にかぎらず、国民栄誉賞、各種勲章・・・どれも悩ましい。

国葬に値するかどうかの論争もあったけどね。

 

ここまでの記事は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の第1章「現代に連なる略奪・独占と抵抗」第3節「先進国・グローバル企業と途上国の対立」に掲載の「農業革命と緑の革命」「品種改良と遺伝子組換え」、および第3章「便益と倫理を問いなおす」第2節「生物絶滅と人間」に掲載の「眠れぬ夜にカの根絶を考える」などを参考としています。

 

ふぅ~ ここまでで、本日は力尽きた。時間がな~い!

カルタヘナ法」までたどり着くことできず。ご容赦願います。

赤いメダカでなぜ逮捕者が出たのか。カルタヘナ法とは。

そして、遺伝子組換え生物(食品も含む)の影響や取り扱いをめぐる先進国・多国籍企業と途上国の対立など、については、また次回とさせていただきたい。

 

先を急ぎたい方は、上記の拙著をご覧ください。
目次(構成)などの概要は、下記記事からご覧ください。

bio-journey.hatenablog.com