先週(2023年5月19日)放映のNHK総合テレビの人気番組「チコちゃんに叱られる!」で、「雑草ってなに?」が取り上げられていた。
チコちゃんに叱られないように、雑草について考えてみたい。
目次
チコちゃんの答えは・・・
「雑草ってなに?」のお答えは、「望まないところに生えているすべての草」とか。
私のブログに興味を持っていただいている読者の方々には、とっくにお分かりのことだろうと思う。
良いものと悪いもの?
前回記事「坂本龍一 街頭音採録の背後には」で、故 坂本龍一氏が、「人間は勝手に、良い音と悪い音に分けている。公平に音を聴いた方が良い」と語っていたことを紹介した。
これに関連して、拙著『生物多様性を問いなおす』(ちくま新書)からの「害虫と益虫(害獣や雑草とそうでないものなども)の線引きは、人間の一方的な価値判断であり、それも現時点でのものだ。」との私の考えも紹介した。
そう、チコちゃんの答えのとおり!
雑草(害虫なども)は、人間が勝手に役に立たないと考えたり、邪魔だと考えたりしているにすぎないのだ。
そして番組出演者が質問していたが、「同じ草でも、あるところでは雑草で、違うところに生えていたら雑草でなくなることがあるの?」という疑問が当然のごとく湧いてくる。
そのとおり!
同じ草でも、きれいな花が咲くからといって庭に植えていた植物が、繁茂しすぎて邪魔になり、突然に雑草として扱われてしまうことがあるのは、身に覚えのある方も多いだろう。
ドクダミは雑草?薬草?
今は盛りに白い花が咲いているドクダミも、畑や庭、空き地、道端などでは雑草として扱われることが多い。
でも、ドクダミは名無しの雑草ではなく、ちゃんと名前を覚えられているからまだましか?
それもそのはず、ドクダミの独特の臭いの元となるデカノイルアセトアルデヒドの精油成分には殺菌作用もあり、化膿止めや皮膚炎などに効果があるとされている。
ほかにも利尿作用や便秘改善効果、血圧安定効果などもあり、「ドクダミ茶」としても古くから利用されてきた。
江戸時代に貝原益軒の著書である本草学の『大和本草』や寺島良安の類書(百科事典)『和漢三才図絵』などにも薬草としての記載がある。
現在でも、れっきとした薬草で、厚生労働省が発行する「日本薬局方」に「十薬」という生薬名で記載されている。
雑草だけではない!
害虫の蚊やハエも、役に立つことはあるのだ。
ハエの幼虫ウジが化膿して壊死した傷口を食べて、傷の回復を早めることから、チンギス・ハーンが負傷兵士手当のために大量のウジを戦場に運んだり、現代の病院でも使用されていることは、上記の拙著でも紹介したところだ(第3章 便益と倫理を問いなおす 第2節 生物絶滅と人間、「眠れぬ夜にカの根絶を考える」参照)。
多様性と多面性
こうした人間の役に立つかどうか、の前に、害虫や雑草たちも、自然界ではなくてはならない存在でもある。
人間に望まれるかどうか?
そんなの関係ないっ!
蚊やハエが鳥や魚の餌にもなって生態系を支えているのは、わかりやすい例だ。
こうして、あらゆる生物が他の生物と関わり合いながら自然界(生態系)で生きていることこそが、「生物多様性」なのだ。
これは、本ブログの主題のひとつだ。
一方で、前回ブログでも拙著から引用したとおり、「(害虫など)この線引きは、科学技術の進展、生活様式(ライフスタイル)の変化、さらには倫理観の変化などによって、いつ反転してしまうかもわからない」。
この多くの個の存在を認める「多様性」も大事だけれども、ひとつの個も角度によって(見方によって)さまざまな価値や意味を持つ「多面性」(多義性など)も大事かと思う。
このことについても、後日考えてみたい。
多様性と多面性は、自然界・生物だけではなく、人間社会でも真剣に考えてみる必要があるだろう。
拙著目次は下記記事から