みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(1)

ご訪問いただきありがとうございます。
いつもながら記事更新もできず、たいへんなご無沙汰でした。

1月には昨年9月・11月に続いてまたサラワク・クチンを訪問。

bio-journey.hatenablog.com

 

でもその間に、上橋菜穂子さんの『香君』(上下)(文藝春秋)を読んだ。
著者・上橋さんの7年ぶりの長編だという。
児童書に分類されることが多いが、成人でも十分楽しめる。

物語は、ウマール帝国の活き神の香君と、属国の西カンタル藩王国藩王の孫で植物や昆虫たちのやりとりを香りの声のように感じ取る鋭い嗅覚の持ち主である少女アイシャの活躍を中心に進む(あらすじは省略)。

 

この物語には、生物多様性の観点から実に興味深い出来事がたくさん登場する。

それもそのはず。
あとがき(『香君』の長い旅路)によれば、著者・上橋さんは、多くの生物学・農学などの専門書から刺激・知識を得て本書を執筆したという。その筆頭に掲げられているのが、ロブ・ダン著『世界からバナナがなくなる前に』(青土社)だ。そのほか、巻末には、参考文献の一覧も掲載されている。

上橋さんがインスピレーションを受けたというバナナの話に関連する物語と生物多様性の関係については、次回のブログ記事で。

 

 

バナナのプランテーションインドネシアスマトラ島にて)
輸出用バナナが傷つかないように袋掛けがされている

本当は、このブログのタイトルも、「上橋菜穂子『香君』を生物多様性から読み解く」とでもしたほうが、なんとなく専門家っぽくてカッコイイ(?)のだけれども、深く論じるだけの時間的余裕もないので、今回は物語の出来事と生物多様性の関係の指摘だけにとどめておく。

 

この物語、そもそもは遥か昔、神郷から降臨した初代香君が携えてきたというオアレ稲をめぐる話だ。

このオアレ稲は、神が授けた奇跡の稲で、多収量品種のためウマール帝国の人々は食糧にも事欠かず繁栄を謳歌していた。

ウマール帝国は、この稲を分け与えることで飢えに苦しむ周辺の多くの国々を属国として支配した。
なにしろこの稲、栽培した後は他の穀類は育たなくなり、種籾も残らない。このため、農民は常にウマール帝国から種籾をもらわなければ農業を継続できないのだ。
それだけではない。肥料もアオレ稲用の特殊な肥料を帝国から分けてもらわなければならない。

 

これって、どこかで聞いたことのあるような。
そう!
緑の革命だ。

緑の革命とは、途上国での飢餓を克服するためにロックフェラー財団の支援により高収量品種のコムギやトウモロコシ、コメなどを開発したものだ。
これらの品種は、世界銀行などの支援により1960年代から80年代にかけて途上国に続々導入されて飢餓が克服され、主導したノーマン・ボーローグ博士は1970年のノーベル平和賞を受賞した。

しかし、モノカルチャー(単一耕作)のために、ひとたび病虫害が発生すると作付けは全滅した。また、収穫量増大のためと、矮性品種(背丈の低い品種)が日光をめぐって雑草に負けないようにするためには、大量の化学肥料や除草剤などの使用が必要となった。

このために、土壌劣化も引き起こし、以前よりもかえって飢饉が激しくなってしまった。
また、化学肥料の大量投入、灌漑施設の整備などによる農民の経済的負担は、伝統的な途上国の農民を資本主義的市場経済に巻き込み、さらにバイオテクノロジーの発展により、多国籍アグリビジネス企業に巨大な市場を提供することにもなった。

 

さらに、多国籍企業は、強力な除草剤ラウンドアップ(成分名グリホサート)を開発すると同時に、除草剤耐性農作物品種も開発した。
すなわち、雑草だけを枯らす選択性の除草剤開発が困難なため、すべての植物を枯らす強力な除草剤を開発し、この除草剤の影響を受けない遺伝子を改変した除草剤耐性農作物品種を開発したのだ。

これは、除草剤と除草剤耐性作物とをセットにして販売して利益を得ようとするビジネスモデルの一種でもある。
この企業が特許を持つラウンドアップ(除草剤)耐性作物は、トウモロコシ、小麦、米、ダイズ、綿花、ナタネ、ジャガイモなど多品種に及び、世界的な農業従事者の減少などを受けて作付面積も世界中で広がっている。

さらに、多国籍企業は遺伝子組換えの技術を応用して、自社の特許を守るために、開発品種の子孫が種子をつけられないようにするターミネーター遺伝子を開発して、開発品種に組み込むまでになっている。
この結果、農民は播種用種子を毎年のように種子会社から買うことを余儀なくされる。

それだけではない。ターミネーター作物の生態系への漏出により、種子植物に種子のつかない不稔性が徐々に広がれば、生態系そのものの滅亡の恐れもあることが指摘されている。

現代の多国籍アグリビジネス企業の戦略は、まさにウマール帝国の支配構造とその源泉そのものだ。

 

物語では、オアレ稲一辺倒となった耕作地にヒシャという恐ろしいバッタが繁殖して稲を食べ尽くし、飢餓が蔓延する光景も描かれている。すなわち虫害だ。
そして、現在の香君と少女アイシャが、この虫害に対処するのが物語の山場でもある。

この虫害をめぐる出来事と生物多様性の関係、すなわち上記の「緑の革命」でもふれたモノカルチャー(単一耕作)自然界のネットワークについては、次回の記事をお楽しみに!

 

緑の革命、遺伝子組換え、多国籍企業の支配など、生物多様性をめぐる話題をさらに詳しく、また俯瞰的に知りたい方は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)をご参照ください。
目次は、下の過去記事からどうぞ。

 

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