みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(3)

上橋菜穂子さんの『香君』について、

第1回では、ウマール帝国がオアレ稲の配布を通じて、飢餓に苦しむ周辺国を属国として支配してきた、その支配構造と源泉について生物多様性の視点から紹介した。

それはまさに、品種改良の結果生み出された多収量品種よる緑の革命や遺伝子組換えによる除草剤耐性農作物品種ターミネーター遺伝子を組み込んだ不稔種子などによる現代のグローバル企業の戦略そのものだった。

 

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第2回では、オアレ稲一辺倒となった耕作地にヒシャという恐ろしいバッタが繁殖して稲を食べ尽くし、飢餓が蔓延する虫害の光景から、モノカルチャー(単一耕作)の危うさを紹介した。

その例として、アイルランドのジャガイモ飢饉を映画タイタニック風と共に去りぬとの関連とともに紹介した。

 

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でも、『香君』の物語での重要なテーマは、その題名にも表されている「香り」であることは明らかだ。

出版社(文藝春秋)のwebサイトによれば、著者(上橋菜穂子さん)は次のようなコメントを寄せているという。

「草木や虫、鳥や獣、様々な生きものたちが、香りで交わしている無数のやりとりをいつも風の中に感じている、そんな少女の物語です。」

 

主人公のアイシャは、あらゆる風景・出来事に香りを感じることができ、香りで生きものの声さえも聴き分けることができる。

アオレ稲の作付けにより他の植物が生育しなくなってしまうのさえ、香り(匂い)から理解する。

「土の中には様々な、ごくごく小さな生き物がいて、それぞれ独特な匂いを放って」いて、「複数の匂いが混然一体となって土の匂いを作っている」が、「オアレ稲が植えられている場所では、その匂いが変わってしまう」。「オアレ稲を植えると他の穀類が育たなくなってしまうのは、そのせい」なのだと。

 

そして、香りとともに重要なテーマは、生きものたちがコミュニケーション、上記の著者の言葉で言えば「香りで交わしている無数のやりとり」をしているということだ。

 

無粋ながら、この重要なテーマである生きものたちのコミュニケーション・関係性についてが今回(第3回)だ。

最近では、動物はもちろんのこと、声を発しないとされる植物さえも、声なき声を発して情報交換しているらしいことが科学的にも証明されつつある。

樹木は種類が異なってもそれぞれの根が菌根菌の菌糸によって繋がり、栄養などのやり取りもしていることが同位体元素で確かめられてもいる。

また、害虫によって葉を食われた植物は、特別な匂いを発して害虫の存在を周囲に知らせ、害虫の天敵を誘導してやっつけることまですることも分かってきた。

まさに、香君の物語のように、「香りで交わしている無数のやりとり」の世界だ。

いわば、自然のネットワークである。

 

さらに物語では、香君の教えとして、アイシャに次のように語らせている。
「人にとってはいてほしくない虫も、その虫を食べて生きる鳥にとっては、いなくなれば困る食糧であり、鳥がいなければ、虫は増え過ぎて草木が困る。香君が風に知る万象とはそういうもの — 必ずしも人にとって利益ばかりではないものが満ちて、巡っているすべてのことである。」

 

これこそが生態系であり、生物多様性の考え方でもある。

皆さんよくご存じの「食物連鎖」に象徴されるように、あらゆる生物は、異性や餌、日照などを巡って競争し、時には喰うか喰われるかの死闘を演じ、また時には互いに助け合う共生関係(相利共生)を築いて生命を繋いできたのだ。

日照を求めて競い合いながらも、分かち合い共生しているカプールの林冠
(クアラルンプール(マレーシア)の森林研究所構内にて)

 

このブログでも、人間が一方的に決めつけてしまう雑草などについて取り上げたことがある。

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雑草のほかにも、人が勝手に害虫・害獣として決めつけ、その駆除のために導入した天敵(益虫・益獣)がかえって生態系や人の生命・健康、農林水産業などに大きな被害をもたらした例は無数にある。

有名なものとして、沖縄のハブ退治のために導入したジャワマングースが、ニワトリなどの家畜・家禽やアマミノクロウサギなど固有種を襲ったり、ボウフラ退治のために導入したカダヤシ(蚊絶やし、タップミノー)が在来種メダカをはじめ稚魚を食べてしまう例などがある。

生態系、人の健康、農林水産業などに甚大な被害を及ぼすとして「外来生物法」による特定外来生物に指定されているものの多くは、こうして人によって持ち込まれたもの(外来種外来生物)だ。

 

これらの事例を含め、共生の考え方、必要性、そして私的共生論については、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生SDGs』(ちくま新書)をご参照ください。
目次は、下の過去記事からどうぞ。

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上橋さんは、もともと文化人類学で、物語にもその知識が光っている。
さらに、「上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(1)」でも紹介したとおり、いわば生物多様性に関連する実に多くの書籍を読み込んで物語を執筆しているから、単なるファンタジーには終わらないのだ。

医者や弁護士、さらには元組員など、その経歴や専門性をもとに小説家となった人も多い。

私もいつかは、専門分野を活かした小説でも書こうかなと構想、いや夢想?はしているのだけれども・・・

 

上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(2)

前回に続いて、上橋菜穂子『香君』を生物多様の視点から読んでみると・・・

 

ウマール帝国は、神授の稲オアレ稲によって属国を支配してきた。
その支配構造と源泉は、現代の多国籍アグリビジネス企業のビジネス戦略とそっくりだということを前回の記事で示した。

物語では、さらに生物多様性の視点から興味深い出来事が続いて起きる。

オアレ稲一辺倒となった耕作地にヒシャという恐ろしいバッタが繁殖して稲を食べ尽くし、飢餓が蔓延する光景が描かれている。すなわち虫害だ。
現在の香君と少女アイシャが、この害虫に対処するのが物語の山場でもある。

前回の緑の革命で記したとおり、プランテーションなど大規模なモノカルチャー(単一耕作)では、病害虫や気象により作物などが全滅する(大きな被害を被る)リスクの高いことが弊害としてよく語られるところだ。

私たちは体形や顔つき、性格なども一人一人異なり、新型コロナやインフルエンザなどの感染症にも罹りやすい人と罹りにくい人がいる。これも生物多様性
生物多様性条約で示されている3つの多様性のひとつ、遺伝子レベルの多様性だ。

しかしモノカルチャーでは、同じ性質の作物、時には遺伝的に全く同一の作物(クローン)が広範囲に栽培されており、病害虫などに対する耐性も同一となる。このために全滅の危機が高くなるのだ。

つまり、自然界での生物多様性は、絶滅回避のためにも重要といえる。
ほかにも、進化の源泉などの重要要素があるが、これらについては後日に譲る。

 

日本でも、これを示す出来事が何度も起きている。

そのひとつ。かつてブランド米として全国で広範囲の作付面積を誇ったササニシキは、1993年の大冷害によって壊滅的な被害を被り、以降の生産量(作付面積)は激減することになった。

ササニシキ以外の作付けでは比較的被害が少なかったことから、モノカルチャーの危機がクローズアップされることとなった。

こうしたモノカルチャーによる悲劇として世界的に有名なものに、アイルランドのジャガイモ飢饉がある。

ジャガイモの原産地はラテンアメリカアンデスだが、アイルランドは原産地に似て気候が冷涼で、土壌も貧弱のために他の作物が育ちにくい。なにしろ、海藻を土壌代わりに敷いたというくらいだ。
また貧しい農民にとってジャガイモは、コムギ栽培と違って小作地代を払う必要のないありがたい作物だった。
これらの理由から、アイルランドのジャガイモ栽培は急激に増加して、18世紀半ば頃にはジャガイモがほとんど唯一の食糧となっていた。

土壌がほとんどなく石ころだらけで、強風の大地
掘り上げた石を風除けとした耕地(アイルランドアラン諸島にて)

しかし、塊茎(種芋)を植えるジャガイモ栽培は、遺伝子組成が同一のクローンでもあり、当時アイルランドで栽培されていた約300億株の全てが同一クローンのランパー種によるモノカルチャー(単一耕作)だった。

このため、遺伝的多様性を失ったジャガイモ栽培は、疫病の攻撃に耐えることはできず全滅した。

このジャガイモ飢饉により、100万人以上が餓死し、150万人もの人々が米国など海外に移民となって出国して、アイルランドの人口は半減したという。

悲劇の豪華客船タイタニック号の沈没事故では、新天地米国への夢を抱いて最後の寄港地アイルランド南部のコーブ(当時はクイーンズタウン)で乗り込んだ多くのアイルランド人が、救命具の備えもない三等客室に閉じ込められたまま犠牲となったことが知られている。
作品賞など11部門でアカデミー賞を受賞した映画「タイタニック」(ジェームズ・キャメロン監督、1997年公開)でも、船底の客室でフィドルの演奏に合わせてアイリッシュダンスに興じ、救命艇にも乗船できずに犠牲となったアイルランド移民の姿が描かれている(と記憶しているけど)。

どこのパブでもアイリッシュ音楽のライブが始まる(アイルランド・ゴールウェイにて)


余談だけれども、アイルランド系移民の子孫たちからは、自動車王ヘンリー・フォードケネディ元大統領をはじめ、政財界、スポーツ界、芸能界などで多くの有名人が輩出されている。

全米で3000万人とも4000万人ともいわれるこれらアイルランド系米国人たちにより、毎年3月17日には全米が緑色に染まるがごとくのセント・パトリック・デーの祭が各地で催される。

また、セント・パトリック・デーを祝う人々の心の中には常に、古代ケルトの聖地であり、中世アイルランドの大王の宮殿があったとされるタラの丘があるという。
タラの丘は、アイルランド人の心の聖地でもあり、原点でもあるのだ。

アカデミー賞作品賞受賞映画「風と共に去りぬ」(ヴィクター・フレミング監督、1939年製作、1952年日本公開)で、南北戦争のさ中、ヒロイン、ビビアン・リー演じるスカーレット・オハラが、クラーク・ゲーブル演じるレット・バトラーとも別れ、すべてを失った失意の中で夕焼けを背に再起を誓った「タラ」の地。
そここそは、父ジェラルドが、自分の出身地アイルランドのタラの丘にちなんで命名した開拓農場だった。

 

アイルランド人の聖地、タラの丘(アイルランド・ミース州にて)

オアレ稲やアイルランドのジャガイモ飢饉などは、モノカルチャー(単一耕作)の危うさを象徴的に示している。

自然は、それぞれの種が多様な形質を備え、そして多くの種が生存競争をし、また助け合いながら生きること、つまり画一的であるよりも多様であることの方が、健全で強い生物社会を作り上げることを教えてくれる。
この自然が用意した仕組みこそが、生物多様性だ。

画一化・同質化がもろいということは、農業に限らず私たちの社会全般にも当てはまるのではないだろうか。
多様性と画一化のバランスは難しい?

 

拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)では、専門書の引用のほか、もののけ姫アバタージュラシックパーク猿の惑星などの映画も取り上げて生物多様性を語った。

本当は、たとえばアイルランドのジャガイモ飢饉では上記のように、風と共に去りぬタイタニックの映画も取り上げたかったのだけれども、総ページ数の関係で割愛せざるを得なかった。

まぁ、テーマの生物多様性からは、自分でも「余談」と自覚しているから仕方ないけどネ。
そのうちにアイルランド紀行的な記事もアップしてみようと思うけれど、いつになるかわからないのであまり期待されないほうが良いかも?


拙著の目次などは、下の過去記事からどうぞ。

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『香君』の物語の主人公アイシャは、植物や昆虫たちのやりとりを香りの声のように感じ取る鋭い嗅覚の持ち主だ。

そのアイシャが体験する自然界の生物同士の相互作用、ネットワークについては、またまた次回ということで!!

 

今日はバレンタインデー、チョコの話をしよう

今日はバレンタインデー

そこで、予定(「上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(2)」)を急遽変更して、チョコレートの話にしたい。

といっても、過去記事の再編集なのでご容赦を。
これって、最近のNHK番組並み?

 

 

チョコレートのふるさと

チョコレートの原料カカオの原産地は中米で、紀元前の古代、アステカ文明マヤ文明の頃、あるいはその前から栽培されていたともいわれている。

糖質に富んだ果肉とともに発酵したカカオ豆は、露天で乾燥した後に粉砕、焙煎され、トウガラシやバニラなどの香辛料とともに熱湯で混ぜられて、晩餐会などの飲み物になったという。

少なくとも、マヤ文明が栄えた頃にはカカオ豆からチョコレートが造られていたのは確かなようで、もともとは薬として珍重されていたようだ。

そして、貴重なうえ、軽量で耐久性もあるカカオ豆は、交易の際に金の代わりの貨幣代わりにも使用されていたという。

マヤ文明の都市ウシュマル遺跡(世界遺産)(メキシコ・ユカタン半島)。現在ではジャングルの中に埋没して点在している数々の遺跡は、雲間に浮かぶ天空の城ラピュタを彷彿とさせる。

ここウシュマルでも、古代の人々はチョコレートを味わったのだろうか。

 

左:魔法使いのピラミッド
右:総督の館(奥)と生贄の心臓を置く台チャックモール(手前)

ヨーロッパ列強の征服

貨幣代わりに使用されたカカオ豆は、ラテンアメリカ全体に広まった。

しかし、チョコレートを既に造っていたマヤやインカの大帝国も、スペイン人などの征服者(コンキスタドール)によって破壊され、滅ぼされた。

インカ帝国の首都だったクスコ(世界遺産)(ペルー)では、隙間には剃刀の歯さえも入らないという堅牢なインカの石積みの上にキリスト教教会やコロニアル風建物が建設された。
コンキスタドールでさえも、堅牢な石積みを破壊することができなかったのだ。

 

中央部の黒っぽい平滑な石積みがインカ時代のもの(クスコにて)

トマトやジャガイモ、カボチャなど多くのラテンアメリカ原産の作物とともに、チョコレートもヨーロッパに伝えられた。

しかし、原料となるカカオは、トマトやジャガイモのようにヨーロッパで栽培されることはなかった。

カカオは熱帯性の植物だからで、ヨーロッパに原料を供給するために、原産地のラテンアメリカには、ヨーロッパ人によるカカオ農園が開かれた。

農園といっても、日陰を好むカカオの木の性質から、大規模な開けたプランテーションではなく、里山的な多樹種と混在した栽培が適しているようだ。

 

カカオ栽培の世界伝播拡大

ラテンアメリカの農園での病害発生でカカオの生産が落ちると、今度は同じくヨーロッパ諸国の植民地だったアフリカに生産の場が移った。

新たな生産地は、アフリカの中でもまだ植民地化の進んでいない中央アフリカや西アフリカが中心で、カカオ農園での労働は奴隷が担った。

19世紀の帝国主義の時代、ヨーロッパ列強による植民地の争奪戦が繰り広げられたが、チョコレートもこの争いに組み込まれていったのだ。

現在の高級チョコレートで有名なベルギーも、この争奪戦によってアフリカに植民地(コンゴルワンダなど)を獲得した国の一つだ。

世界のカカオ豆生産量第1位のコートジボワールは、かつて象牙海岸とも称されたフランス領西アフリカだった。

日本でチョコレートの製品名称にも付けられているガーナは、植民地となった西アフリカ黄金海岸の地域で、独立後の現在では世界第2位のカカオ豆生産国だ。

 

インドネシアのカカオ栽培

カカオの生産地はアフリカ、なかでもガーナが有名だが、東南アジアにも伝播した。
インドネシアは世界第3位の生産国だ。

インドネシアスマトラ島にあるカカオ果樹園を訪れた。

カカオ豆は、カカオの木の幹から直接垂れ下がったように付いている20〜30cmほどのラグビーボールのような実の中に詰まっている。
幹に直接付いているような実の付き方は、ジャックフルーツなど熱帯果実には多いが、日本の果実を見慣れているとちょっと驚く。

カカオの赤黒く熟れた実を割ると、20〜30個ほどの白い果肉が顔を出す。
この果肉、食べるとほのかな甘さがある。
カカオ農園で果肉を食べた時、農園主に中の種子を捨てないように注意された。

この種子がカカオ豆だ。
このわずかな豆が、チョコレートの原料となるから貴重なのだ。

下の写真のように、カカオ豆の断面を見ると紫色だ。
チョコレートにポリフェノールが豊富なことを物語っていそうだ。

幹からぶら下がるカカオの実(インドネシアスマトラ島ランプン州にて)

 

カカオの白い果肉とその中のカカオ豆の断面(下の紫色)

チョコレートの製造

カカオは、前記のとおり原産地のラテンアメリカでは飲み物として利用され、チョコレートとはいうもののヨーロッパに伝わった後も飲料だった。現代の日本で私たちが飲むココア飲料のような飲み方だ。

アール・ヌーヴォーを代表する作家の一人アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)のリトグラフ(版画の一種)の作品。
「ショコラ・イデアル(チョコレート・アイデアル)」(1897年)という独特の淡い色彩の宣伝ポスターの中央には、湯気の立ち昇る三つのチョコレートのカップを盆に載せた母親と、その足元に駆け寄る二人の子供が描かれている。
商品は、六カップ用のカカオ粉末だ。

ということは、少なくとも19世紀末にはまだ、チョコレートといえば引用だったということだろう。現在でも、ラテンアメリカや北米、ヨーロッパでは、飲み物の「ホット・チョコレート」に人気がある。最近では、日本のカフェなどのメニューにも登場している。

 

アルフォンス・ミュシャ「ショコラ・イデアル」(小田急百貨店ミュシャ展にて)

現代の日本で目にするようなチョコレートの製造は、オランダのカスパルスとコンラート・Jのバンホーテン(ファン・ハウテンとも)親子の発明が契機となっている。

彼らは、脂肪分の少ない粉末チョコレート、すなわちココアパウダーの製法(1828年に特許取得)とアルカリ塩を加えて飲みやすくする製法(ダッチプロセス)を開発した。この親子こそ、現代に続くココア製造会社バンホーテン社の創業者だ。

その後、イギリス人ジョセフ・フライによって固形チョコレート、現代で言う板チョコが発明された。

さらに、スイス人科学者アンリ・ネスレネスレ社創業者)の粉ミルク製法開発、これを利用したスイスのチョコレート製造業者ダニエル・ペーターによる板状ミルクチョコレート開発などにより、徐々に現代のチョコレートに近づいていった。

 

チョコレートの現代

ヨーロッパ列強は、20世紀に入ってもカカオ生産による利益を求めて、アフリカだけではなく東南アジアなどでも栽培を広げた。 

また、中国やインドなどの経済力向上に伴い、これらの国でのチョコレート消費量も伸び、最近ではベトナムなど新たな地域での良質豆生産が注目されている。

一方で、世界各地で生産が拡大したカカオ豆の価格は、近年では急暴落している。

その理由の一つは、ロンドンなどのカカオ市場でグローバル企業や投機家たちが少しでも低価格のカカオ豆を買付けようとすることによる価格競争だ。

また、先進国でのコマーシャリズムによる、チョコレートからキャンディーなど他商品への嗜好変化によるカカオ豆消費量の減少もある。

ガーナのカカオ農家は以前は安定した収入を得られたが、価格暴落により現在では経営できなくなり、首都アクラなどの都会には農村から出てきた職のない人々やストリート・チルドレンがあふれているという。

最近では、こうした生産地の人々の生活向上や環境保全にも配慮して、原料や製品を適正価格で継続的に買い付けて流通させる「フェアトレード」の仕組みが注目されている。

これが、地球上の誰一人も取り残さずより良い世界を目指す、2030年までに達成すべき17ゴール(目標)を示した「持続可能な開発目標(SDGs)」に合致する仕組みであり、経済・社会・環境のそれぞれを調和させ、先進国も含めたすべての国、さらには企業や自治体、市民一人ひとりが取り組むべき行動だ。

私たちがバレンタインチョコを選ぶときに、単に味わいやデザイン、ブランドイメージではなく、製品となるまでの原料生産(カカオ生産)から製造過程、さらにパッケージなどの廃棄処分までも考慮することが、SDGsの達成には求められるのだ。

バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、日本のチョコレートメーカーが販売促進のために考案したとの説がある。

バレンタインチョコを食べながら、過去そして現代、未来を考えてみるのも良いだろう。

義理チョコでさえ、バレンタインチョコをもらう当てもない私だけれども・・・・

 

この記事のネタ原稿は、例によって拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書

目次等は

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上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(1)

ご訪問いただきありがとうございます。
いつもながら記事更新もできず、たいへんなご無沙汰でした。

1月には昨年9月・11月に続いてまたサラワク・クチンを訪問。

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でもその間に、上橋菜穂子さんの『香君』(上下)(文藝春秋)を読んだ。
著者・上橋さんの7年ぶりの長編だという。
児童書に分類されることが多いが、成人でも十分楽しめる。

物語は、ウマール帝国の活き神の香君と、属国の西カンタル藩王国藩王の孫で植物や昆虫たちのやりとりを香りの声のように感じ取る鋭い嗅覚の持ち主である少女アイシャの活躍を中心に進む(あらすじは省略)。

 

この物語には、生物多様性の観点から実に興味深い出来事がたくさん登場する。

それもそのはず。
あとがき(『香君』の長い旅路)によれば、著者・上橋さんは、多くの生物学・農学などの専門書から刺激・知識を得て本書を執筆したという。その筆頭に掲げられているのが、ロブ・ダン著『世界からバナナがなくなる前に』(青土社)だ。そのほか、巻末には、参考文献の一覧も掲載されている。

上橋さんがインスピレーションを受けたというバナナの話に関連する物語と生物多様性の関係については、次回のブログ記事で。

 

 

バナナのプランテーションインドネシアスマトラ島にて)
輸出用バナナが傷つかないように袋掛けがされている

本当は、このブログのタイトルも、「上橋菜穂子『香君』を生物多様性から読み解く」とでもしたほうが、なんとなく専門家っぽくてカッコイイ(?)のだけれども、深く論じるだけの時間的余裕もないので、今回は物語の出来事と生物多様性の関係の指摘だけにとどめておく。

 

この物語、そもそもは遥か昔、神郷から降臨した初代香君が携えてきたというオアレ稲をめぐる話だ。

このオアレ稲は、神が授けた奇跡の稲で、多収量品種のためウマール帝国の人々は食糧にも事欠かず繁栄を謳歌していた。

ウマール帝国は、この稲を分け与えることで飢えに苦しむ周辺の多くの国々を属国として支配した。
なにしろこの稲、栽培した後は他の穀類は育たなくなり、種籾も残らない。このため、農民は常にウマール帝国から種籾をもらわなければ農業を継続できないのだ。
それだけではない。肥料もアオレ稲用の特殊な肥料を帝国から分けてもらわなければならない。

 

これって、どこかで聞いたことのあるような。
そう!
緑の革命だ。

緑の革命とは、途上国での飢餓を克服するためにロックフェラー財団の支援により高収量品種のコムギやトウモロコシ、コメなどを開発したものだ。
これらの品種は、世界銀行などの支援により1960年代から80年代にかけて途上国に続々導入されて飢餓が克服され、主導したノーマン・ボーローグ博士は1970年のノーベル平和賞を受賞した。

しかし、モノカルチャー(単一耕作)のために、ひとたび病虫害が発生すると作付けは全滅した。また、収穫量増大のためと、矮性品種(背丈の低い品種)が日光をめぐって雑草に負けないようにするためには、大量の化学肥料や除草剤などの使用が必要となった。

このために、土壌劣化も引き起こし、以前よりもかえって飢饉が激しくなってしまった。
また、化学肥料の大量投入、灌漑施設の整備などによる農民の経済的負担は、伝統的な途上国の農民を資本主義的市場経済に巻き込み、さらにバイオテクノロジーの発展により、多国籍アグリビジネス企業に巨大な市場を提供することにもなった。

 

さらに、多国籍企業は、強力な除草剤ラウンドアップ(成分名グリホサート)を開発すると同時に、除草剤耐性農作物品種も開発した。
すなわち、雑草だけを枯らす選択性の除草剤開発が困難なため、すべての植物を枯らす強力な除草剤を開発し、この除草剤の影響を受けない遺伝子を改変した除草剤耐性農作物品種を開発したのだ。

これは、除草剤と除草剤耐性作物とをセットにして販売して利益を得ようとするビジネスモデルの一種でもある。
この企業が特許を持つラウンドアップ(除草剤)耐性作物は、トウモロコシ、小麦、米、ダイズ、綿花、ナタネ、ジャガイモなど多品種に及び、世界的な農業従事者の減少などを受けて作付面積も世界中で広がっている。

さらに、多国籍企業は遺伝子組換えの技術を応用して、自社の特許を守るために、開発品種の子孫が種子をつけられないようにするターミネーター遺伝子を開発して、開発品種に組み込むまでになっている。
この結果、農民は播種用種子を毎年のように種子会社から買うことを余儀なくされる。

それだけではない。ターミネーター作物の生態系への漏出により、種子植物に種子のつかない不稔性が徐々に広がれば、生態系そのものの滅亡の恐れもあることが指摘されている。

現代の多国籍アグリビジネス企業の戦略は、まさにウマール帝国の支配構造とその源泉そのものだ。

 

物語では、オアレ稲一辺倒となった耕作地にヒシャという恐ろしいバッタが繁殖して稲を食べ尽くし、飢餓が蔓延する光景も描かれている。すなわち虫害だ。
そして、現在の香君と少女アイシャが、この虫害に対処するのが物語の山場でもある。

この虫害をめぐる出来事と生物多様性の関係、すなわち上記の「緑の革命」でもふれたモノカルチャー(単一耕作)自然界のネットワークについては、次回の記事をお楽しみに!

 

緑の革命、遺伝子組換え、多国籍企業の支配など、生物多様性をめぐる話題をさらに詳しく、また俯瞰的に知りたい方は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)をご参照ください。
目次は、下の過去記事からどうぞ。

 

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謹賀新年 辰の姿

明けましておめでとうございます


いつもご訪問いただきありがとうございます

不定期更新というか、思い出したような更新ですが、本年もよろしくお願いいたします


正月早々、地震や航空機事故、そして世界では相変わらずの戦火など、心痛むことばかりですが、皆さまのブログで元気をいただきたいと思います。


今年は辰年


これまで別のブログでやってきた干支にちなんだ動物写真をアップしてみようと思います。

とはいえ、辰・龍は架空の動物

本物の写真があるはずはありません。


そこで、龍(ドラゴン)にちなむ動物や植物、文化財などの写真をPCに保存してあるデジタルアルバムから探してみました。


辰にちなむ動物といえば、真っ先に思い浮かぶのがタツノオトシゴ

年賀状のスタンプのデザインにもなっています。

しかし、水族館ではたびたび見てきたものの、写真は撮っていません。


そこで次に思い浮かんだのが、インドネシアのコモド島に生息する有名なコモドドラゴン

この写真も残念ながら見つかりませんでした(デジタル化していないのか?見つかったら後でアップします)。


代わりに、なんとなく龍を彷彿させるイグアナでご勘弁を!

中米のコスタリカのジャングルとメキシコのユカタン半島ウシュマル遺跡でのイグアナです。

イグアナ(サラピキ川・コスタリカにて)

イグアナ(ウシュマル遺跡・メキシコにて)


動物がダメなら植物です。


まずはリュウノヒゲ(別名ジャノヒゲ)

我が家の庭にありました。

リュウノヒゲ(別名ジャノヒゲ)


そしてリュウゼツラン(竜舌蘭)

テキーラの原料としても有名な多肉植物で、その名の通り龍の舌のようです。

コスタリカのグアナカステ自然保護地域の乾燥林の林床に生育しています(写真の木の下の緑の藪)。

 

リュウゼツラン(グアナカステ自然保護地域・コスタリカにて)

さらには、ドラゴンフルーツ

サボテンのような植物の実で、ドラゴンの鱗を想起させるような果皮に、これまた果肉はドラゴンの血のような真っ赤(白い果肉も)。

写真は、インドネシアスマトラ島のドラゴンフルーツ畑にて。

 

ドラゴンフルーツ畑(中央の赤いのが実)(左)と果実(右) ともに、スマトラ島インドネシアにて

最後に文化財

これは、神社・仏閣の建物彫刻や天井画など無数にあり、切りがありません。

そこで代表して、沖縄・首里城琉球王朝のシンボルの龍柱(焼失前)

 

龍柱(入口の左右の石柱)(首里城にて)

首里城内の金色の龍柱


このシンボル龍のルーツでもある中国・紫禁城の皇帝の龍も写真には撮ってありますが、デジタル化していないので今回はおあずけです。

 

最後は、丹沢の大山山中にある二重社(ふたえしゃ)の狛犬ならぬ阿吽の狛龍?

この社は、龍族の王である八大龍王(高龗神(たかおかみのかみ))を祀っていて、脇には二重滝があり、水に縁があるようです。

阿吽の龍(二重社にて)


それでは、

この一年の皆さまのご多幸をお祈りいたします

庭先にある巨樹 巨木の郷で巨木フォーラム in 青森・階上大会2023

皆さま、大変ご無沙汰しています。

多くの方々にご訪問いただいたにもかかわらず、こちらからの訪問が滞り失礼いたしました。

 

いよいよ大晦日

年が明けないうちにアップしておかなければならないのが、本年10月7日に青森県階上町で開催された「第34回巨木を語ろう全国フォーラム青森・階上大会」だ。

巨木を語ろう全国フォーラム(巨木フォーラム)は、環境庁(当時)が全国の巨樹・巨木林調査を実施した1988年に、兵庫県柏原町(現、丹波市)で初めて開催された。
それ以来、コロナで休止の年はあったものの毎年開催され、本年で34回目となった。

階上町での開催は、東日本大震災から10年目の2021年に震災復興記念大会として開催される予定だったが、コロナ禍により延期せざるを得なかったものだ。

しかし本年は、三陸復興国立公園が指定されて10周年でもある。
階上町内の階上岳や階上海岸は、隣接する蕪島や種差海岸(ともに八戸市)などとともに三陸復興国立公園の核となった陸中海岸国立公園編入されて新国立公園として指定された。
震災復興事業として整備された「みちのく潮風トレイル」も町内を通過し、階上岳は枝線の起終点でもある。

会場のハートフルプラザ・はしかみ

フォーラムは、地元の道仏神楽(どうぶつかぐら)のオープニングアトラクションに続いて主催者挨拶や祝辞が述べられた。私もフォーラム共催者である「全国巨樹・巨木林の会」会長として挨拶した。

オープニングの道仏神楽

その後は、東京大学・山本清瀧准教授により「巨樹・巨木が支える風景の継承と地域の誇りの醸成」と題した基調講演が行われた。

そして、地元の巨樹関係者によるパネルディスカッション「階上の巨木・海・里山の魅力を未来につなぐ」、緑の少年団による大会宣言と続いた。

 

緑の少年団による大会宣言

最後は、第1回大会から引き継がれている大会旗が次回開催地の福井県大野市長に引き継がれて閉会となった。

大会旗の引継ぎ

フォーラム終了後は、恒例の交流会。
全国各地から参加したおよそ100名の全国巨樹・巨木林の会会員にとっては、1年ぶりに旧知の会員と顔を合わせる同窓会のようなもので、活動状況や思い出話に花が咲いた。そして地元の方々との交歓も熱心に行われ、巨樹をめぐる情報交換の輪が広がった。
歓迎アトラクションとして、伝統芸能の田代えんぶりが披露された。

伝統芸の田代えんぶりの披露

翌日10月8日は、これも恒例となっている巨木を巡るツアー(エクスカーション)が催された。

快晴に恵まれ、地元の「階上売り込み隊」会員や緑の少年団による解説などを聞きながら、3コースに分かれて町内の巨木を観察した。
階上町内では、神社・仏閣だけではなく、民家の庭先にバラエティーに富んだ巨樹が生育しているのが特徴だ。

町では、「巨木の郷」として巨木巡りお薦めコースを定めて案内標識や解説板を整備したり、巨木・古木案内のパンフレットを作成している。
また、階上売り込み隊有志ボランティアによる巨木解説ツアーも実施されている。

(ご紹介はまた後日)

巨木観察エクスカーション

それでは皆さま、良いお年をお迎えください。

サラワク・クチンは猫の街?

この夏、3週間ほど海外出張をした。

ブログ更新はもともと遅いけど、やっと今頃になってアップする次第。

 

滞在先は、マレーシア連邦サラワク州の州都クチン。


サラワクは、世界で3番目に大きな島ボルネオ島にある。


島の南部約3分の2は、カリマンタと呼ばれるインドネシア領だ。北部は、ブルネイを挟んで東側のサバ州と西側のサラワク州マレーシア連邦領となっている。


サラワク州に入るには、隣国のシンガポールなどから空路で入国する場合にはもちろん入管の手続きが必要だが、同じ国内のクアラルンプール経由(トランジット)で国内便で入る場合にも国外からと同様に入管手続きが必要だ。


サラワク州は、第2次世界大戦下の日本占領時代を経て、1963年のマレーシア連邦結成時に参加してマレーシアの1州となった。

19世紀には、英国人探検家ジェームズ・ブルックが藩王(ラジャ)となり、約100年間にわたるブルック家3代による白人王国が存続した。

 

そんなこともあり、半島部のマレーシアからの独立意識が強く、連邦加盟後も強力な自治権が認められている。それが今日でも入州に入管手続きが必要な理由かもしれない。


ともあれ、州都クチンは、マレー語(インドネシア語もほぼ類似)で「猫」の意味だ。

その名の由来には諸説あるが、必ずしもネコとの関係があるわけでもなさそうだ。

しかし現在では、市庁舎の1階には「猫博物館」まであり、街中いたるところに猫のモニュメントもある。


猫博物館には昔クチンに来た時に訪れたことがある。猫に関連する絵画や彫刻・置物・人形など、所狭しと陳列されていた記憶がある。

ネットによれば、日本のドラえもんやなめネコも展示されているらしい。

今回は訪問しなかったけど。

 

猫モニュメントで有名なのは、街中央部のこのモニュメント。クチンのシンボル的な存在?

クチンで最も有名な?猫モニュメント

ひっきりなしに観光客が記念写真を撮っている。

ほかにも、上のモニュメントからすぐ近くの交差点にある白猫の像。

白猫のモニュメント

 

夜景も美しい。緑ネコ?

白猫モニュメントの夜景

食事などで出かけた街はずれにも、さまざまな猫のモニュメントが。

どれも巨大な猫たち!!

 

 

最後に、街中で見かけた生ネコ?

あちこちで見かける野良猫?

いたる所で猫の姿を見ることができる街、クチンだった。