みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

海辺のバーベキュー そのあとは

猛暑、酷暑で観測史上歴代5位の気温が高かった今夏。
9月に入って関東地方では秋雨前線の影響でぐずつく天気が続いているが、休み中には山や海に出かけた人も多いだろう。

居宅近くの海岸にも、連日多くの人が押しかけた。

バーベキューキャンプで賑わう海岸

 

ということで、前回に続いてキャンプの話題だ。

最近の海岸利用者は、海の家は利用しないで、仲間や家族でバーベキューを楽しむ人たちも多い。ギターやボンゴなどの楽器で盛り上がっているグループもある。
日除けにテントを持ち込んでいるグループもある。

 

大型テントも持ち込まれる海岸バーベキューキャンプ

 

そもそもバーベキューの道具も、登山の飯盒炊さんキャンプの頃と比べれば、ずいぶん改良され、大型になってきた。

これも車で運搬できるからだろう。大量に食材も搬入できる分、バーベキューを楽しんだあとには大量の食べ残しやごみが出る。
最近はマナーもよくなって、ゴミをそのまま放置するグループは少ない。ビニール袋に入れて片付ける。

大量の食材なども持ち込まれる

 

しかし、持ち帰るのは自分の車や自宅までではない。近くのゴミ箱までだ。
かなり大型のゴミ箱だが、それでも入りきれないゴミは周囲に積み上げられている。

ゴミで溢れかえるゴミ箱

 

そのゴミは誰が片づけるのだろうか。ゴミ箱が設置されているのだから、当然誰かが片づけてくれるに違いない。
そう、地元の自治体が住民の税金で処理しているのだ。

各地の観光地では、観光客が出した大量ゴミを住民の税金で処理しなければならず、財政を圧迫している。
地元も観光収入で潤うのだから、それくらいの負担は当然と考えることもできるが、観光との関わり(観光従事者数、観光収入などの地元に占める割合)の小さい地域では大変だ。

バブルの時代には、風光明媚な高原地域や海岸地域にリゾートマンションが続々と建設された。マンション所有者は、週末に利用するだけだから住民登録せずに住民税も払わない。

そんな外来者のために、ゴミ処理や上下水道の費用を住民が負担しなければならず、地元では悲鳴をあげたことがあった。神奈川県真鶴町などでは、景観保全と費用負担の軽減のため、「まちづくり条例」などでリゾートマンション建設を制限しようとしたこともある。

国立公園でも、ゴミ問題は長年の課題だ。その典型が、尾瀬や富士山、上高地などだ。

山野に散らかるゴミのためにゴミ箱を増やしても、かえってその周辺にゴミが散乱したり、山奥のゴミ箱に溜まったゴミを麓に降ろすだけでも大変だ。
そこで尾瀬などでは、ゴミ箱を撤去して、家まで、少なくとも麓まで持ち帰ってもらう「ゴミ持ち帰り運動」が提唱されてきた。

尾瀬のゴミ持ち帰り運動

 

利用者は、ゴミをゴミ箱に捨てれば、それでおしまい。むしろ良いことをしたと満足する人もいるかもしれない。

しかし、ゴミ箱に捨てられて、それで終わりではない。ゴミの回収や処分までも考えてほしい。

このことは、国立公園や観光地のゴミだけではない。私たちの日常生活で生じるゴミや不用品も同様だ。

かつて企業は作って売るだけで、ゴミとなった不用品の回収・処分は自治体任せ、結局は公共の税金を投入していた。

これが2000年代から、ビン・カンやペットボトルを対象とした「容器包装リサイクル法」や冷蔵庫、テレビなどの「家電リサイクル法」、さらには「自家用車リサイクル法」などが次々と施行され、製造から廃棄、処理まで企業は一貫して責任を持つ方針に変更された。
製造者責任であるとともに、利用者・受益者負担でもある。

安い電気として推進されてきた原子力発電も、核燃料の処分や発電所自体の廃炉などの費用を考えると、決して安い電気とは言えないだろう。
ゴミ処理に目をつむり、企業負担ではなく、税金をあてにするのは、かつての家電などと同じだ。初めからわかっていたことではあるが。

 

バーベキュー客の増加でゴミが溢れかえっていた海岸の歩道沿いの大型ゴミカゴは、だいぶ前に撤去された。

それでも、かつてのゴミカゴ周辺のようにゴミが溢れ、散乱していることはほとんど目にしない。
そう!!やればできるジャン。

 

本文と写真は関係ありません。

(お断り:18年間続けたssブログ(旧so-netブログ)が閉鎖されたのに気づかず、記事アーカイブが消滅したので、手元のメモをもとに再構築・修正追加してHatena Blogに復活・再掲しました。
今回の元記事は、2013年のものです。)

 

 【ブログ内関連記事】(すでに消滅しています! いずれ復活したいと思います)

 「お天道様が見ている -公と私の環境倫理」2008-07-16
 「お天道さまが見ている(2) -見ぬもの清し ポイ捨ての美学」2010-06-13
 「やはり気になる『塀の上の空き缶』」2011-07-03
 「富士山入山料 -国立公園の入園料と利用者数制限」2013-08-04
 

あなたは何派? -キャンプ場での自然ふれあい

夏休みもそろそろ終盤(小学生と大学生とではだいぶ感覚が異なる?)。
酷暑を避けてキャンプに出かけた方も多いだろう。

ということで、今回のブログは、「キャンプ」を話題にしよう。

記事の題名にある「何派?」は、キャンプ場利用の際に、自然とのふれあいを目的としている派なのか、他の目的派か、ということだ。

キャンプは自然の中で行うものであり、当然のこと自然とのふれあいを求めている、と多くの人が考えるだろう。

確かにそのとおりではあるが、私の調査研究の結果では、キャンプの目的意識やキャンプ場での行動などから、3タイプに分類され、必ずしも自然とのふれあい志向が高い利用者ばかりとは限らない、という結論になった。

また、子ども連れの利用者の方が、子どもを同伴しない利用者よりも、自然とのふれあいや不便さを志向する割合が高いことも判明した。

調査は、箱根の神奈川県立「芦ノ湖キャンプ村」(2026年現在は、Fun Space芦ノ湖キャンプ村 レイクサイドヴィラ)の利用者を対象に実施した。

キャンプ村ケビン

 

富士箱根伊豆国立公園箱根地域は、古くからの温泉や関所、神社、美術館などの文化施設、さらにはゴルフ場、寮・保養所なども多く、首都圏からの交通アクセスも便利なこともあり、わが国の国立公園でも利用者のもっとも多い地域だ。

大涌谷から望む富士山

箱根神社

 

芦ノ湖キャンプ村には、ベッド室とリビングダイニングの2LDKタイプで、バス、トイレのほか、ダイニングにはカウンターキッチンが備えられ、食器や炊飯器なども完備しているテラス付木造ログハウス風のケビンが36棟ある。

 

ケビン全景

テラス付きのケビン

ケビンのテラス(内部から)

ケビンのカウンターキッチン

また、キャンピングカーあるいはテント利用のために野外炉(かまど)や電源コンセントも付帯しているオートキャンプ場と、利用者がそれぞれ各自でテントを持ち込むフリーテントサイトがある。

オートキャンプ場

オートキャンプ場区画には野外炉や電源設備も

炊事場

バーベキュー炉は日帰り客も利用可

 

利用者へのアンケート調査でキャンプ場利用者の自然とのふれあいの場としての利用実態を把握した結果、

(A)自然志向が強く、自然体験のために来訪する利用者(自然ふれあいタイプ)

(B)キャンプ活動自体に関心のある利用者(キャンプ活動タイプ)

(C)グループ内での親睦を図ることを目的とする利用者(グループ親睦タイプ)

の3タイプの存在が明らかになった。

この結論に至るには、アンケート結果を統計的に解析処理したが、その詳細は拙論文「自然体験の場としてのキャンプ場利用者の意識と行動」(共栄大学研究論集10,pp.265-285,2012年)を参照されたい。

 

世界各地の国立公園などで、大自然の中でのんびりと長期休暇を過ごしている家族などを見てきた私は、日本人がなぜ自然の中でのんびり過ごすような行動がとれないのか不思議に思っていた。

キャンピングカーの傍でゆったりと1日を過ごすキャンパーたち
(ヨーホー国立公園(カナダ)にて)

 

今回の調査で明らかになったのは、必ずしも自然の中でキャンプなどで過ごすことが嫌いなわけではないが、のんびりするだけの時間的な余裕がないことだ。
夏休み期間を中心とした調査だったが、箱根での滞在は平均で2.3日、キャンプ村での宿泊は70%近くが1泊だけだった。
(注.コロナ禍を経過した現在では、調査時点とは休日の取り方や自然の中での過ごし方もだいぶ様子が異なっているかもしれない)

これでは、のんびりと自然にふれあえるはずがない。バーベキューなどのキャンプ活動そのものや、家族や知人と楽しむ親睦をキャンプ村利用の目的とする利用者が多くなるのもうなづける。

一方で、欧米人家族のキャンプ村利用者の多くは、遅い時間帯での朝食後、子どもたちは湖岸や樹林内で水遊びや虫取りなどに戯れ、夫婦はケビンのベランダでゆったりと周囲の自然を眺めてコーヒーを飲みながら、会話あるいは読書で1日を終えて、再び家族揃ってケビンで夕食をとり、数日を過ごす。

そんな欧米人利用者の姿を見ていると、そもそも3タイプの利用者分類など意味がないようにも思えてくる。

キャンプの目的は、バーベキューなど非日常のキャンプ生活を楽しみながらの、自然とのふれあいでもあり、家族との親睦でもあるのだ。

フリーテントサイトでキャンプを楽しむ外国人家族(芦ノ湖キャンプ村にて)

のんびり生活の薦めを説いている当の私は、土日も学会に出席したり論文執筆に追われたり、休日のない生活をしてしまった。

これでは当分、自然ふれあいタイプの仲間入りは難しい?

 

(お断り:18年間続けたssブログ(旧so-netブログ)が閉鎖されたのに気づかず、記事アーカイブが消滅したので、手元のメモをもとに再構築してHatena Blogに再掲しました。
今回の元記事は、2012年のものです。手抜きで失礼!)

 

 (関連ブログ記事)(すでに消滅しています!)
 「自然と癒し -日本人は自然の中でのんびりと過ごせるか」2008-08-01
 「アルバニアのんびりカフェ」2011-08-28
 「繋がる時空、隔絶した時空 -携帯電話・インターネット考」2008-11-23
 「モンゴルの風に吹かれて」2008-10-23

酷暑を超える過酷な自然と太古の美 デスバレー国立公園(米国) ー世界の国立公園(4)

温暖化の影響か、連日の猛暑にはホトホト参る。
日課にしようとしている散歩も、この暑さで滞りがちだ。

地震被災地熊本では、今年から制定された酷暑日も記録されたとか。 被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

ところで、世界にはもっと暑い場所はいくらでもある。

その一つが、米国カリフォルニア州と一部ネバダ州にまたがる米国最大(岩手県に匹敵する約134万ヘクタール)の国立公園「デスバレー(Death Valley)国立公園」だ。
正式に国立公園として指定されたのは1994年10月で比較的新しい。

ロサンゼルスやラスベガスからアクセスできる。

大昔は海底だった地域が隆起した一帯は、広大な平地となっている。
この平地部の標高は海抜0m以下の場所もある一方で、周囲を囲む山々は3000mを超える。

公園内を貫く道路 海抜0mの標識

 

平地部の年間平均降水量は50mm以下で、気温は50°Cを超える。
酷暑(40°C)をはるかに超える気温だ。
その名「死の谷」のとおり、気温は高く、乾燥した場所である。
逆に、山地部は、冬期には氷雪で覆われる。

このような極端な条件は、公園に多様な自然のコントラストをもたらしている。


米国の国立公園は、日本と違い入り口部にゲートがあり、そこで入園料を支払う仕組みとなっている。
しかし、デスバレー国立公園にはゲートはない。
公園中央部のファーニス・クリーク・ビジターセンター(Furnace Creek Visitor Center)で入園料を支払い、旅行計画を申し出る。

私が訪問した時は、気温はそれほど高くもないというが、ビジターセンターの温度計では43°Cは超えていた。

今や日本でもこれくらいの気温では驚かないけど、この時は四半世紀前。

体験したことのない高温に感激?したものだ。

華氏110度超え、およそ摂氏43〜45度 
建て替え前のビジターセンターの温度計でちょっと見にくい?

 

降水量が極端に少ないので、当然のことながらいわゆる砂漠の様相を呈している。
枯れ草、砂礫、さまざまだ。

枯れ草や砂礫の平地

 

公園内で最も標高が低いのは、バッド・ウォーターと呼ばれるところで、海抜マイナス85mだ。
太古の海底で、隆起後に巨大湖となった広大な平地は干上がり、現在では真っ白な塩の結晶で覆われている。

バッドウォーター 海抜マイナス85m
現在は保護のための木道も設置されている

 

雨が降らない地でも、たまにまとまった降雨があると、地中には染み込まずに鉄砲水となることもある。
その水が一部に残った塩分の高い水辺には、植物さえも生育している。
自然とは、過酷な地でもなんと適応力があり、多様なんだろう。

バッドウォーター水辺

バッドウォーター水辺の植物

 

過酷な地で生き延びていると言えば、人間も負けてはいない。

遠方の道路から、一団の人影が近づいてきた。
この灼熱の地でマラソンの練習をしているのだ!

ゴールドラッシュ時代には、多人数が金塊を求めてこの不毛の地に足を踏み入れた。
その後も、銅や鉛の採掘、食塩やホウ酸塩、滑石などが堆積した蒸発残留岩に含まれるホウ砂の採掘が続けられた。
今では廃墟となった町も形成され、日本人移民もこの過酷な地で労働者として働いていたという。

 

10数億年も前に形成された周囲の丘陵部には、風化した岩石地がある。

風化した丘陵地

西部劇に出てきそうな風景も

 

アーティストパレット(Artists Palette)と呼ばれる一帯は、酸化した鉱物により、様々な色合いの岩肌を見せている。

アーティストパレット

 

公園内のホテル(ロッジ)では、部屋があまりにも暑く、エアコンが効かないのでフロントに連絡した。
フロント係員は、温度計を持ってきてエアコンの送風口で測定し、エアコンは故障していないということだった。
猛暑、酷暑の声を聞くと、今でも思い出すデスバレーでの笑い話だ。

 

それにしても日本の酷暑は高温だけでなく多湿だから始末悪い。

なにしろ、多摩動物園のアフリカライオンが3頭も死ぬくらいだから。たぶん熱中症で?

 

デスバレーの夕景



リンジャニ山トレッキング

ご訪問ありがとうございます。
相変わらずのご無沙汰で失礼します。

英語論文作成に追われ、またまた皆さんにもご協力いただいた「巨樹アンケート」の解析と報告書作成に追われています。

少し前までは(といってもずいぶん昔かも?)いくつもの仕事を同時並行にこなしていたのが、最近では一つずつこなしていくのが精一杯?!

と、またまた言い訳と愚痴ばかりになってしまいました。

今回は、まだ体力も気力も残っていた頃(15年近く前!)のリンジャニ山(3726m)登山の様子をお届けします。

前回リンジャニ山国立公園記事でお約束してから、すでに2ヶ月も経ってしまいました。

山頂からの火口湖

リンジャニ山は、こんなところ。

 

bio-journey.hatenablog.com

 

第1日
国立公園管理事務所で入山手続き。

国立公園管理事務所

 

国立公園の記事でも書いたとおり、入山には国立公園入園料のほかに、リンジャニトレックセンター運営協力費を支払う必要がある。
協力費は、清掃や遭難救助などの費用に充てられる。
私が検討委員をしている富士山でも、入山料を支払う仕組みが世界遺産登録(2013年)後に整備されてきたが、リンジャニ山の方が先行していた。

さらに、地元のガイドまたはポーターを雇わなければ、入山できない。
私は、ロンボク島在住の友人インドネシア人と、その友人のガイド、ポーターの4人での登山。

登録が終わると、入山許可証代わりのタグをザックに付ける。

入山許可タグ

 

管理事務所から登山口までの途中、牛の移動にぶつかり、オートバイも牛の群れの中をかき分けて走行。
私たちの車は、群れの最後尾を砂埃を浴びながらついていった。

牛の群れをかき分けるオートバイ

登山口からは、草原をひたすら山の麓まで歩き、草原の中でキャンプ。

草原をひたすら歩く



第2日
草原のキャンプ地(といっても、設備は何もない)で、朝食を作ってもらった。
朝食は、定番ナシゴレン?

キャンプ地には多くのテントが

キャンプでの炊事(上)と朝食

 

途中は結構な登りだが、ポーターに荷物を預けて身軽な欧米トレッカーはスイスイと登っていく。

登山者たち

 

頂上が見えてきたところで、本日は終了。

山頂が見えた!

2日目キャンプ


夕日に染まった雲海も美しい。

夕日に染まった雲海

 

第3日
いよいよ山頂に向けて登山開始。
まもなく火口湖セガラ・アナクが見えてきた。

空も白みかけ火口湖が

 

さらに高度を上げると、影リンジャニが!

山の影が映る

 

山頂への稜線は狭く、砂礫で1歩進んでは2歩下がる?感じ。
砂埃もすごい。

山頂への稜線

山頂に到達!!
山頂からは、巨大な噴火口だったことがよくわかる。

巨大な噴火口跡

 

山頂を後に、ひたすら火口湖まで降りる。

 

今日のキャンプ地は、火口湖脇の平地。

欧米のトレッカーグループは、荷物運び、テントの設営・撤収、料理など、すべてポーターまかせで楽だ。
飲料水のペットボトルだけでも半端ない。

キャンプ撤収中のポーター

空になった飲料水ペットボトルの山



第4日
トレッカーグループは、ポーターが撤収作業中に、少し離れた温泉が流れ出る滝で癒しの時間。

湯が流れ落ちる滝壺で

もちろん我々は自力で撤収。

再び外輪山を登る。

外輪山の途中から火口湖を挟んで対岸の山頂を

 

外輪山を登り切る頃には夕刻が迫り、雲海の先にはバリ島のアグン山が顔を出している。

夕暮れ迫る雲海(先にはバリ島アグン山)

夕焼けをバックのアグン山を見ながら、やっと麓に辿り着いた。

夕日をバックのバリ島アグン山

これで、3泊4日のリンジャニ山トレッキングも無事終了。

 

 

究極のエゴサ!? 生成AIに尋ねてみた

不定期の当ブログへご訪問いただき、ありがとうございます。
その上、皆さまの更新ブログへは、なかなか訪問できず失礼しています。

 

このところ(というかずっと前から?)半導体などAI関連株価の上昇やアンソロピック社のミュトス5・フェイブル5の提供中止など、AI関連の話題には事欠かない。

先日のプロ野球巨人軍の阿部元監督が娘さんに暴行して監督を辞任した件でも、娘さんが対応の仕方をチャットGPTに尋ねたのがその発端とか(いや、本当の発端は、そもそも阿部氏が娘さんに暴力を振るったことだけどね)。

 

ところで、私はエゴサ(エゴサーチ)などという言葉があるのも知らず、拙著の書評を知りたくて、Googleで検索した結果を貼り付けて、まとめてブログにアップしたことがある。

それがこちら! 

 

bio-journey.hatenablog.com

 

ところが、今や書評も生成AIに尋くことができる。
その結果がこちら!!

 

まずは、GoogleのAIによる概要

高橋進著『生物多様性を問いなおす ――世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)は、単なる環境保全の枠を超え、歴史的・グローバルな視点から「自然と人間の関係」を根本から見つめ直す名著です。

本書の主なポイントと評価は以下の通りです。

・歴史的な収奪構造の告発
大航海時代以降の帝国主義や植民地支配が、いかに現地の生物資源を搾取してきたかを詳述。現代のグローバル経済や先進国・多国籍企業による熱帯林の破壊など、南北問題の構図を浮き彫りにしています。

・人間中心主義からの脱却
「人類が絶滅しないための生存基盤」として自然を守るという人間至上主義( anthropocentrism )を批判。自然を支配・管理する対象ではなく、敬意を払い共存する姿勢の重要性を説いています。

・提示される「三つの共生」
SDGsの理念を土台にしつつ、将来世代に引き継ぐべき「世界との共生」「自然との共生」「未来との共生」という持続可能な社会のための具体的な構図を提案しています。

【こんな方におすすめ】

・SDGsの「その先」にある本質的な課題について理解を深めたい方

・先進国の豊かな生活が、途上国や自然環境にどのような負荷をかけているのか俯瞰したい方

・人間以外の生命(生態系)との真の共生について倫理的な観点から考えたい方

 

次が、Google検索のAIモード

高橋進氏による新書『生物多様性を問いなおす ――世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書、2021年)の書評をお届けします。

人間至上主義の限界を撃つ――「利潤」から「共生」への転換点
昨今、環境問題やSDGsの文脈で「生物多様性」という言葉を耳にしない日はありません。しかし、私たちはその真の意味をどれほど理解しているでしょうか。単に「絶滅危惧種を守ろう」「自然の恵み(生態系サービス)を維持しよう」という、人間側の都合に終始してはいないでしょうか。

本書『生物多様性を問いなおす』は、そうした人間至上主義的・経済最優先の視座を鮮やかに解体し、地球規模の歴史と構造から生物多様性の本質を炙り出す、極めて重厚な一冊です。

本書の革新性:3つの価値観と見えざる「略奪」の構造
著者は、生物多様性を以下の3つの多角的なアプローチで定義します。

1. 経済的な利便性をもたらす「生物資源」
2. 人類が生き延びるための「生存基盤」
3. 利益の独占を排し、誰もが享受すべき「地球公共財」

特にスリリングなのは、第1章から第2章にかけて展開される「生物多様性の損失を招いた歴史的構造」の分析です。著者は、大航海時代以降の植民地主義から現代のグローバル企業によるバイオテクノロジー戦略までを一本の線でつなぎます。先進国が途上国の豊かな自然を「生物資源」として都合よく収奪・独占してきた「南北問題」の構図を浮き彫りにするのです。 

さらに、環境保護の象徴である「国立公園」の設立でさえ、裏を返せばその土地に暮らす先住民を排除し、地域社会との軋轢を生んできたという歴史の皮肉(陰影)をも容赦なく提示します。

単なる「自然保護の推奨」に留まらない深い問い
私たちが日常で消費する熱帯林由来の製品や現代の快適な生活が、いかに遠く離れた地域の生態系を蝕んでいるか。本書を読むと、環境問題が単純な「優しさ」だけで解決できるものではなく、根深い経済格差や構造的不平等の問題と直結していることに気づかされます。

著者は終章において、利益第一主義を脱却し、将来世代に引き継ぐべき「三つの共生」(世界との共生、自然との共生、未来との共生)を提起します。それは単に自然を支配したり保護したりする対象として見るのではなく、人為と自然の調和、すなわち「相利共生」の関係を再構築せよという、現代社会への強い警告でもあります。

総評:世界の解像度を変える、新時代の必読書
「生物多様性」という使い古された標語の裏にある、人間の傲慢さと略奪の歴史。本書は、新型コロナウイルスのパンデミックや気候変動など、予測困難な時代を生きる私たちに「真の持続可能性とは何か」を深く問いかけます。

文章は非常に平易かつ論理的で、各章の繋がりも親切にナビゲートされているため、入門書としても最適です。読み終えたとき、目の前にある自然や、スーパーに並ぶ食材、そして私たちが目指すべきSDGsへの視線は、確実に変わっているはずです。

 

ずいぶんとヨイショしてくれて、なんだか、こそばゆい気持ちだ。

 

調子に乗って、ChatGPTにも尋ねてみた!

まずは概要

ざっくり言うと、この本の評判は「公開レビュー数は多くないが、出ている感想はかなり好意的」です。『生物多様性を問いなおす』は筑摩書房のちくま新書として2021年1月に刊行された288頁の本で、生物多様性を単なる自然保護ではなく、植民地支配と生物資源の収奪、先住民との軋轢、倫理、SDGs、将来世代への継承まで含めて考える内容です。

好評の中心は、「生物多様性」を自然科学の話だけでなく、国際政治、南北問題、先住民の権利、倫理までつなげて整理している点です。noteの書評では、植民地支配からSDGsまでの議論がわかりやすく整理され、政治的利害や宗教観念が交錯する現場の葛藤にも触れている点が評価されていました。別の読書ブログでも、強国による略奪と支配、国立公園と先住民、人類と自然の共生可能性まで学べる本として受け止められています。

一方で、軽い読み物ではなく、やや学術寄りという見方もあります。ブクログには「よくまとまっているが気楽に読める本ではない」という趣旨の感想があり、森林・環境共生学の三木敦朗氏も、生物多様性の国際的理解を具体例豊富にわかりやすく示す点は評価しつつ、内容はやや物足りず、日本国内の事例にももっと踏み込んでほしかったと述べています。

公開レビュー全体を総合すると、この本の評判は「生物多様性を歴史・政治・倫理から考えたい人には評価が高い。ただし、気軽な入門読み物としては少し硬め」という感じです。


もう少し詳しい書評を尋ねると

公開情報ベースで言うと、かなり好意的に受け取られている本です。ただし、評価の中心は大手メディアの大量書評ではなく、読者レビューや書店サイト上の感想で、母数はそこまで大きくありません。 

好評の理由は、生物多様性を自然保護だけの話にせず、植民地主義、先進国と途上国の対立、地域社会、観光、倫理、SDGsまでつないで俯瞰している点です。出版社の紹介でも、本書は「生物資源」「人類の生存基盤」「地球公共財」という観点から考え、「三つの共生」を提起する本とされ、レビューでも「歴史的・地理的に俯瞰的」「具体例が多くてわかりやすい」「入門書として網羅的」といった評価が目立ちます。 

一方で、少数の感想には、2021年刊なので新味はやや薄いとか、索引があればもっと使いやすいといった留保もあります。なので、評価を一言でまとめるなら、「専門研究書の決定版」というより、生物多様性を政策・歴史・国際関係まで含めて広く学ぶための良質な入門新書、という位置づけがいちばん近いです。これは公開レビューの傾向からの私の要約です。 

補足すると、著者は環境庁で国立公園管理や生物多様性政策に携わり、生物多様性条約第1回締約国会議にも政府代表として参加した経歴があり、その実務経験が本書の強みとして読まれている面があります。著者ブログでは、『週刊エコノミスト』で調査の細かさがおもしろいと評されたことや、入試問題に採用されたことも紹介されていますが、ここは著者自身による紹介なので、補助情報として見るのが妥当です。 

読むか迷っているなら、環境問題を「自然保護」だけでなく、国際政治や南北問題まで含めて考えたい人には向いている本です。逆に、最新のTNFDや30by30の実務論だけを知りたいなら、やや射程が広く、少し回り道に感じるかもしれません。

公開されている内容紹介と目次からまとめると、この本は生物多様性を「自然保護」だけの話としてではなく、資源の利用、人間の生存基盤、さらにそれらを含む「地球公共財」の問題として捉え直す本です。大航海時代以降の植民地支配から、現代のグローバル企業やバイオテクノロジーまでを視野に入れ、生物資源をめぐる収奪・独占と、それに対する抵抗や対立の歴史をたどります。 

章ごとに見ると、第1章は植民地と生物資源、熱帯林破壊、先進国・グローバル企業と途上国の対立を扱い、生物多様性の問題の背後にある歴史的・経済的な構図を描きます。第2章は、自然保護や観光の現場で、先住民や地域社会がどう排除され、またどう復権や協調を模索してきたかを論じます。第3章は、生きものとの生活や信仰、絶滅の問題を通じて、「役に立つか」だけでなく倫理の面から生物多様性を考え直します。第4章と終章では、過去から次世代への継承、持続可能な開発援助、SDGsを踏まえ、国境を超えた「三つの共生」へ議論を進めます。 

かなり縮めて言うと、**「生物多様性とは珍しい生きものを守る話ではなく、誰が自然の恵みを得て、誰が負担を押しつけられ、未来に何を残すのかを問う政治・歴史・倫理の問題でもある」**と読む本です。版元は、本書の到達点を「地球公共財をめぐる収奪・独占という利益第一主義を脱し、相利共生を実現する構図を示す」ことだと紹介しています。

 

続いて、大学や高校の入学試験問題や課題図書にも採用されていることから、ChatGPTに高校生向きの書評も聞いてみたのがこちら

概要
この本は、「生物多様性」とは何かを、ただ自然や動物を守ることとしてではなく、人間社会との関わりの中で考え直した本です。著者は、動植物や自然環境が、食料・薬・資源として利用される一方で、強い国や企業に独占されたり、先住民の暮らしが脅かされたりしてきた歴史を示します。そして、生物多様性を守るには、自然だけでなく、人間の権利や国際的な公平さ、未来の世代への責任まで考える必要があると述べています。

書評
この本のよい点は、「生物多様性」という言葉を、理科だけのテーマではなく、歴史・政治・倫理にもつながる問題として説明しているところです。ニュースでよく聞くSDGsや環境問題が、実は先住民の権利や国どうしの関係とも深く結びついていることがよくわかります。少し内容は硬めですが、そのぶん「自然を守る」とは本当はどういうことかを深く考えさせてくれます。高校生が環境問題を広い視野で学ぶ入口として、読みごたえのある一冊です。

 

スゴ〜イ‼️
著者も明確には意識していなかったテーマや視点まで指摘してくれている。

 

なるほど、学生さんがレポート作成にAIを使いたがるのも頷ける。

私が現役の大学教員の頃は、まだ生成AIが普及していなくて、学生レポートも検索結果のコピペ(コピー・アンド・ペースト)だった。
学生も検索結果の取捨選択や文体の統一など、それなりに努力を必要とした。
それをしない手抜きの学生レポートは、すぐにコピペを見抜くことができた。
今の大学教員は、生成AIのレポートの評価にずいぶんてこずっていることだろう。

 

書名の『生物多様性を問いなおす』は、出版社からの提案だが、「〜を問いなおす」は、「ちくま新書」の伝統的な書名のシリーズで私としても気に入っている。

しかし、「生物多様性」というキーワードのために、書店でも、図書館でも、自然科学(生物学)の書棚に収められてしまう。

著者としては、副題として加えた「共生」が隠れた(いや、真の)テーマでもあり、社会科学や人文科学の書棚にこそ置いてもらいたいところだ。

世界が分断と混迷を深める今のような時代こそ、多くの方々に読んでいただきたいと思う。

 

bio-journey.hatenablog.com

 

bio-journey.hatenablog.com

 

これだけ生成AIが発達すると、いつの日にか人間の仕事を奪って、人間に取って代わってしまう心配も現実のものとなるだろう。
いや、すでにAIに職を奪われた人々や職種もあるようだ。

いずれにしろ、生成AIといえども拙著の全文を読み込んだはずはないので、読者の皆さまがSNSなどにアップした書評をまとめたに過ぎない。

 

AIの書評も、その基を辿れば皆さまの書評アップの賜物です!

もし機会があれば、書評アップをよろしくお願いいたします。

 

 

 

星条旗と国立公園 実録 9.11 in Hawaii

高市首相肝入りの「国旗損壊罪」創設議論が加速して、日の丸に注目が集まっている。

国民の祝日が続いた大型連休。
一体どれくらい国旗 日の丸が掲げられていただろうか。

国民が国旗に対して抱く感情、国旗への眼差し、国旗に対する振る舞いは、その時代、その場所、その民族により異なる。

国旗は、それぞれの国の歴史とそこに住む人びとの物語に根ざしている。
ずっと日本に住んでいる方には教科書上のことに過ぎないかもしれないが、海外に住んだことのある方には、この国旗に対する人々の感情や振る舞いを実感として感じたことがあるだろう。
いや、海外に住まなくても、オリンピックなどでは否が応でも国旗に特別な感情を抱かざるを得ない。

 

国旗に対する人々の特別な思いを私が実感したのは、ハワイでのこと!!

2001年7月から、ハワイのオアフ島にある米国連邦政府の研究機関、東西センターの客員研究員として赴任した。

オアフ島ホノルル 中央遠方の山がダイヤモンドヘッド

任期は1年と決まっていたので、家具の購入や退去時の処分の必要のない家具付きコンドミニアムを探した。

その結果、ワイキキにあるイリカイホテルの1室で、日本のマンションのように所有者のある部屋を探し当てた。
ベッド、テーブル、ソファーなどの家具やテレビ、食器などのほか、シーツやタオル、さらに(前住人が置いていった?)調味料や洗剤までもあった。

10階にある部屋の広いラナイ(ベランダ、バルコニー)の先には、大小様々な形態のヨットが係留されたヨットハーバーが広がっていた。

部屋から見えるヨットハーバー

早朝に出航するヨット

ラナイへの小さな訪問者

眼下にはプールがあり、プールサイドでは毎晩フラダンスショーが開催されていた。

眼下のプール

プールサイドでの毎夜のフラダンスショー

隣のヒルトンホテルでは、週末ともなると花火が打ち上げられた。
部屋からは隣のウイング棟が邪魔になり、音と夜空に点滅する光だけで、花火本体を観ることはできなかったけど。

 

世界中の人々の憧れのリゾート地ワイキキに住むことができるとは、夢のようだった。

ワイキキ海岸

 

 

しかし、わずか2ヶ月後の2001年9月11日、世界を震撼させた同時多発テロを境に、フラダンスショーも花火も全て中止となってしまった。


その日の朝、いつものように出勤のためエレベーターに乗ると、白髪の上品な老婦人が話しかけてきた。
なんでも、本土で飛行機の衝突事故が起きたらしい、というのだ。
私は、また事故かと思い、気にも留めなかった。

 

東西センターに到着すると、もともと節電のためのセンサースイッチで暗い廊下が、やけに薄暗く静まり返っていた。
出会った研究者も、今日は出勤する人が少ないね、と不思議がっていた。
まだ事態を把握していなかった私には、肯定する以外の返事は考えられなかった。

そういえば、バスセンターのあるアラモアナ・ショッピングセンターも、普段と違ってシャッターが閉まった店が多く、もの寂しげな感じだった。

ニューヨークの世界貿易センタービルなどにハイジャックされた飛行機が激突した同時多発テロが起きたのを知ったのは、夕方に帰宅してテレビニュースを観てからだった。

 

星条旗に対する米国民の抱く感情が如実に現れたのが、この9.11同時多発テロの時だ。
ラナイから見えるホテルの光景も一変した。

ちょうど日本の団地の布団干しのように、あちこちの部屋のラナイには星条旗が掲げられた。
街ゆく車も、サイドミラーや窓に大小の星条旗をたなびかせて走っていた。

東西センターは、州立のハワイ大学構内にあったが、連邦政府の研究機関であり、テロ攻撃対象となりうるとのことで、その後も厳重な警戒が続いた。
実際、炭疽菌らしき粉末が届いたとして、全員建物退去したこともあった。幸いイタズラだったようだけと。(米国本土では、炭疽菌バイオテロにより、死者も出た)

中止されたフラダンスショーも、1年後に帰国するまで、それが復活することはなかった。
テロを口実にした経費削減かとも思ったが、1年後の帰国の際になってもまだ厳しい空港でのセキュリティチェックを体験すると、どうやら単なる経費上の話ではなかったようだ。

 

ところで米国では、州ごとに法律や税制などがバラバラなのはよく知られている。
いわば州がそれぞれ独立国家のようなものだ。

米国のことを日本では「合衆国」と表すが、私は「合州国」の方が実態に即しているのではないかと思う。
実際、英名は ”United States of America” (USA)で、直訳すれば「合州国」や「連邦」となるのだろうけど、「合衆国」にもそれなりの理由があるとの説もある?

 

そこで、連邦政府は、外交や防衛などの国家として対処すべき事柄を扱っている。
そして、国家としてのまとまり、つまり統一の象徴として、国旗や国歌がある。

米国西海岸を旅行中、道路脇に星条旗が林立している町並みを通過した。
その時は気がつかなかなかったが、偶然7月4日、米国「独立記念日」だった。
そして、通過した町の名は、インディペンデンス。
そう、「独立」と名づけられた町だったのだ!

インディペンデンスの町の道路沿いに林立する星条旗
(ちょっと見えにくいけど)

 

日本の「建国記念日」の光景とはえらい違いだ。

そして、国旗に対する思い入れの結果として、ハワイで経験したように、外敵に対する一致団結の姿として、9.11同時多発テロ直後の星条旗の乱舞となるのだ。

 

最近でもテレビニュース画面では、イランやウクライナなどで外敵の侵攻に抗して集まった人びとの手に、国旗が翻っていた。
これが高じると、敵国の国旗を燃やしたり、踏みつけたりする行動にまで発展せざるを得なくなる。

国旗には、さまざまな、時には相反する、想いや信条が込められることもある。

 

国家の統一を示す象徴は、「国旗」や「国歌」だけではない。

実は「国立公園」も、そうなのだ。

「自由の女神像」や「ホワイトハウス」などとともに、内務省国立公園局(ナショナルパークサービス)が管理している。

国の統一の象徴としての国立公園誕生の話は、また別の機会に紹介したい。
拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の第2章 地域社会における軋轢と協調 「国立公園の誕生と拡散」でも紹介しています。

 

いずれにしても、国立公園が星条旗と同じように国家統一の象徴とみなされているとしたら、日本の国立公園関係者としてはなんともうらやましい話だ。

日本の国立公園も、「我が国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地」(自然公園法第2条)ではあるけど、国家統一の象徴にまではなっていないからね。

 

トランプ大統領は、今まで自然の風景や野生動物などだった「国立公園年間パスポート」のデザインに自身の肖像を入れることにしたという。

これでは、「統一の象徴」どころか「分断の象徴」になってしまう。
この自己顕示欲は、どこまでいったら気が済むのだろうか。

でも、紙幣のワシントン(1ドル札)やリンカーン(5ドル札)などの歴代大統領肖像画に取って代わらないだけマシか。
いや、いずれそのうち・・・・????

と思っていたら、パスポート(旅券)にはトランプ大統領の肖像が入れられた、というニュースが入ってきた。
そのうち・・とは言っていられない?

 

ハワイの部屋から見た夕日は、テロも何もなかったかのように、真っ赤に染まって目の前のヨットハーバーに沈んでいった。

ヨットハーバーの先の太平洋に沈む夕日

空を染め上げる夕日

 

ハワイ名産のコーヒーは、ハワイ島のコナコーヒー。でもハワイ在住中は、もっぱら安価なLIONコーヒーを飲んでいた。
今でもたまにLIONコーヒーのフレーバーコーヒーを淹れてみる。その香りから、ハワイの懐かしい至福の日々が想い浮かばれる。

 

 

おまけ1

コマーシャルで有名な「この木なんの木」。
ホノルルの「モアナルア・ガーデン」にある「モンキーポッド」(マメ科ネムノキ属)という樹齢130年以上の大木。
でも、訪れる観光客は、ほとんどが日本人?!

私が訪れた時にも、数人の日本人観光客がいただけ。

この木なんの木? モンキーポッド

 

おまけ2

庭のヤマボウシが満開です。

満開のヤマボウシ

 

 

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火口湖と温泉のある聖なる山 リンジャニ山国立公園(インドネシア) ー世界の国立公園(3)

日本で有名なインドネシアのバリ島。
その東隣の小島、ロンボク島には、俗化したバリ島では失われた手付かずの自然や風習などが残っている。
近年では、バリ島の人混み、交通渋滞や騒音などを避けて訪れる観光客数も増加している。

バリ島とロンボク島の間は約50km(狭いところで34km)しか離れていないが、両島は深い海溝(ロンボク海峡)で隔てられている。

この海峡が、西側のアジア大陸と同じ東洋区と東側のオーストラリア区の動物分布を分ける「ウォーレス線」となっている。

ちなみに、人間の社会文化も、ヒンズー文化のバリ島とイスラム文化のロンボク島と別れている。

とは言っても、ともに(インドネシア全般もそうだが)宗教伝播前の土着信仰や伝統的な生活風習が色濃く残っており、日本と似通ったところがある。

 

ところで、リンジャニ山(Gunung Rinjani)は、ロンボク島北部にそびえるインドネシア第三位の高峰の活火山である。

標高は、3726mというから、日本の富士山(3776m)よりちょうど50m低いことになる。富士山ほどの秀麗さはないが、火山性の独立峰のため、島の多くの地点、さらには近隣のバリ島などからも、その姿を望むことができる。

 

リンジャニ山の山蓉(スンバルン側から)

まさにロンボク島のシンボル的存在だ。そして、島の人々(ササック族)からは、古くから聖なる山として崇められてきた。

そこには神が宿ると考え、林産物などの利用その他で入山する際には、神に入山の許しを得る儀式を行っていた。
リンジャニとは、古語で「神」を意味するという。

 

そのリンジャニ山を中心とする41,330haの地域が、1997年に国立公園に指定された。

山全体は、亜高山性の熱帯林から高山植生、サバンナなどの植生タイプに覆われているが、山頂域は火山礫に覆われ、エーデルワイスの一種(ウスユキソウやヤマハハコの仲間?)をみることができる。エボニー・リーフモンキー、ホエジカ、センザンコウ、カンムリワシなど、固有種を含む多くの動物も生息している。

エーデルワイスの1種?
群生するエーデルワイスの1種?

ノボタン 熱帯林内でよく見かける

エボニー・リーフモンキー(藪の中だが、白色のたてがみが見える)

カニクイザル(ゴミをあさりに)

 

山頂クレーターには、大きな火口湖であるセガラ・アナク(Segara Anak)湖がある。水面標高は約2200mで、硫黄分を含んでいる。

また、湖近くには、温泉が川となって流れ出ており、登山者は温泉浴気分を味わうこともできる。
この湖に接して、1990年代の数度の噴火により隆起した溶岩ドーム、新火山(Gunung Baru)がある。

 

火口湖セガラ・アナクとリンジャニ山頂(湖右側に新火山)

新火山の溶岩ドーム(手前)

滝になって流れ落ちる温泉に興じる登山者



この聖なる山も、現在はトレッキングコースとして、インドネシア各地からの若者だけではなく、世界中からのトレッカーを魅了している。

地元社会への利益還元と自然保護のため、国立公園当局と地元とで、リンジャニトレック管理委員会を立ち上げ、リンジャニトレックセンターを運営して情報提供などを行っている。

登山(入山)のためには、国立公園入園料のほか、このトレックセンター運営協力費を支払い、地元ガイドあるいはポーター(荷物運搬)を伴わなければ登山できない規則となっている。

これも、地域社会の経済向上と自然保護の両立というエコツーリズムの趣旨でもある。運営協力費は、清掃や遭難救助などに充てられている。

 

国立公園管理事務所

入園タグ(リュックに下げた)

トレッキング客の荷物を運ぶ地元住民ポーター(伝統的な運び方?)

 

ロンボク島の隣のバリ島にも、アグン山があり、やはり信仰対象となっている。
富士山も同様、人々の生活を見守り、多くの恵み(山の幸)を与えてくれる山は、地元の人々の信仰の対象であり、聖なる場所でもある。

いつまでもこの聖なる山を汚すことなく、国立公園の利用と地元の人々の生活が続くことを祈りたい。
 

アグン山(バリ島)(左のシルエット)と日没(スナル側ルートより)

 

このリンジャニ山トレッキングの詳しい様子は、後日に別途の記事としてアップの予定。

 

本記事は、2012年の調査時での情報をもとにしています。現在では状況が異なる場合もありますのでご了承ください。

 

拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)にも、リンジャニ山のトレッキングとガイド・ポーターなどについて紹介しています。ご関心のある方はどうぞ。
第2章 地域社会における軋轢と協調 第3節 植民地の残影から脱却するために 「エコツーリズムと地域住民」

 

本ブログの「世界の国立公園」シリーズ記事

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