みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

上橋菜穂子『香君』を生物多様性の視点で読んでみた(2)

前回に続いて、上橋菜穂子『香君』を生物多様の視点から読んでみると・・・

 

ウマール帝国は、神授の稲オアレ稲によって属国を支配してきた。
その支配構造と源泉は、現代の多国籍アグリビジネス企業のビジネス戦略とそっくりだということを前回の記事で示した。

物語では、さらに生物多様性の視点から興味深い出来事が続いて起きる。

オアレ稲一辺倒となった耕作地にヒシャという恐ろしいバッタが繁殖して稲を食べ尽くし、飢餓が蔓延する光景が描かれている。すなわち虫害だ。
現在の香君と少女アイシャが、この害虫に対処するのが物語の山場でもある。

前回の緑の革命で記したとおり、プランテーションなど大規模なモノカルチャー(単一耕作)では、病害虫や気象により作物などが全滅する(大きな被害を被る)リスクの高いことが弊害としてよく語られるところだ。

私たちは体形や顔つき、性格なども一人一人異なり、新型コロナやインフルエンザなどの感染症にも罹りやすい人と罹りにくい人がいる。これも生物多様性
生物多様性条約で示されている3つの多様性のひとつ、遺伝子レベルの多様性だ。

しかしモノカルチャーでは、同じ性質の作物、時には遺伝的に全く同一の作物(クローン)が広範囲に栽培されており、病害虫などに対する耐性も同一となる。このために全滅の危機が高くなるのだ。

つまり、自然界での生物多様性は、絶滅回避のためにも重要といえる。
ほかにも、進化の源泉などの重要要素があるが、これらについては後日に譲る。

 

日本でも、これを示す出来事が何度も起きている。

そのひとつ。かつてブランド米として全国で広範囲の作付面積を誇ったササニシキは、1993年の大冷害によって壊滅的な被害を被り、以降の生産量(作付面積)は激減することになった。

ササニシキ以外の作付けでは比較的被害が少なかったことから、モノカルチャーの危機がクローズアップされることとなった。

こうしたモノカルチャーによる悲劇として世界的に有名なものに、アイルランドのジャガイモ飢饉がある。

ジャガイモの原産地はラテンアメリカアンデスだが、アイルランドは原産地に似て気候が冷涼で、土壌も貧弱のために他の作物が育ちにくい。なにしろ、海藻を土壌代わりに敷いたというくらいだ。
また貧しい農民にとってジャガイモは、コムギ栽培と違って小作地代を払う必要のないありがたい作物だった。
これらの理由から、アイルランドのジャガイモ栽培は急激に増加して、18世紀半ば頃にはジャガイモがほとんど唯一の食糧となっていた。

土壌がほとんどなく石ころだらけで、強風の大地
掘り上げた石を風除けとした耕地(アイルランドアラン諸島にて)

しかし、塊茎(種芋)を植えるジャガイモ栽培は、遺伝子組成が同一のクローンでもあり、当時アイルランドで栽培されていた約300億株の全てが同一クローンのランパー種によるモノカルチャー(単一耕作)だった。

このため、遺伝的多様性を失ったジャガイモ栽培は、疫病の攻撃に耐えることはできず全滅した。

このジャガイモ飢饉により、100万人以上が餓死し、150万人もの人々が米国など海外に移民となって出国して、アイルランドの人口は半減したという。

悲劇の豪華客船タイタニック号の沈没事故では、新天地米国への夢を抱いて最後の寄港地アイルランド南部のコーブ(当時はクイーンズタウン)で乗り込んだ多くのアイルランド人が、救命具の備えもない三等客室に閉じ込められたまま犠牲となったことが知られている。
作品賞など11部門でアカデミー賞を受賞した映画「タイタニック」(ジェームズ・キャメロン監督、1997年公開)でも、船底の客室でフィドルの演奏に合わせてアイリッシュダンスに興じ、救命艇にも乗船できずに犠牲となったアイルランド移民の姿が描かれている(と記憶しているけど)。

どこのパブでもアイリッシュ音楽のライブが始まる(アイルランド・ゴールウェイにて)


余談だけれども、アイルランド系移民の子孫たちからは、自動車王ヘンリー・フォードケネディ元大統領をはじめ、政財界、スポーツ界、芸能界などで多くの有名人が輩出されている。

全米で3000万人とも4000万人ともいわれるこれらアイルランド系米国人たちにより、毎年3月17日には全米が緑色に染まるがごとくのセント・パトリック・デーの祭が各地で催される。

また、セント・パトリック・デーを祝う人々の心の中には常に、古代ケルトの聖地であり、中世アイルランドの大王の宮殿があったとされるタラの丘があるという。
タラの丘は、アイルランド人の心の聖地でもあり、原点でもあるのだ。

アカデミー賞作品賞受賞映画「風と共に去りぬ」(ヴィクター・フレミング監督、1939年製作、1952年日本公開)で、南北戦争のさ中、ヒロイン、ビビアン・リー演じるスカーレット・オハラが、クラーク・ゲーブル演じるレット・バトラーとも別れ、すべてを失った失意の中で夕焼けを背に再起を誓った「タラ」の地。
そここそは、父ジェラルドが、自分の出身地アイルランドのタラの丘にちなんで命名した開拓農場だった。

 

アイルランド人の聖地、タラの丘(アイルランド・ミース州にて)

オアレ稲やアイルランドのジャガイモ飢饉などは、モノカルチャー(単一耕作)の危うさを象徴的に示している。

自然は、それぞれの種が多様な形質を備え、そして多くの種が生存競争をし、また助け合いながら生きること、つまり画一的であるよりも多様であることの方が、健全で強い生物社会を作り上げることを教えてくれる。
この自然が用意した仕組みこそが、生物多様性だ。

画一化・同質化がもろいということは、農業に限らず私たちの社会全般にも当てはまるのではないだろうか。
多様性と画一化のバランスは難しい?

 

拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)では、専門書の引用のほか、もののけ姫アバタージュラシックパーク猿の惑星などの映画も取り上げて生物多様性を語った。

本当は、たとえばアイルランドのジャガイモ飢饉では上記のように、風と共に去りぬタイタニックの映画も取り上げたかったのだけれども、総ページ数の関係で割愛せざるを得なかった。

まぁ、テーマの生物多様性からは、自分でも「余談」と自覚しているから仕方ないけどネ。
そのうちにアイルランド紀行的な記事もアップしてみようと思うけれど、いつになるかわからないのであまり期待されないほうが良いかも?


拙著の目次などは、下の過去記事からどうぞ。

bio-journey.hatenablog.com

 

『香君』の物語の主人公アイシャは、植物や昆虫たちのやりとりを香りの声のように感じ取る鋭い嗅覚の持ち主だ。

そのアイシャが体験する自然界の生物同士の相互作用、ネットワークについては、またまた次回ということで!!