坂本龍一さん(以下、敬称略)の死の公表から1カ月以上が経つが、未だにその死を惜しむ声は続き、マスコミなどでも特集が組まれたりしている。
ただそれだけで、会ったこともない。別に自慢にもならない。
それどころか、私はYMOの曲を聴くわけでもない。せいぜい「君に、胸キュン。」のメロディーなら聴いた記憶があるというくらいかな。
そんな私が、彼の名とともに後輩だということを知ったのは、『戦場のメリークリスマス』や『ラスト・エンペラー』など彼が作曲した映画音楽が有名になって、だいぶ時間が経ってからだ。
どうやら彼は、私が高校3年生の時に入学してきたらしい。
ということは、砂交じりのクレイコートの校庭に整列して、校長の話を共に聴いたことがあるのかもしれない。
いや、彼は整列などの団体行動や権威主義的な話など嫌いだった(同窓生インタビューで本人が語っていた)というから、エスケープしていたに違いないけど。
その校長の背後には、校舎建て替えのために今はない、日露戦争時の日本海海戦で連合艦隊旗艦だった戦艦三笠の鐘(興国の鐘)を吊っていたという鐘楼があった。
正式な校歌よりも高校生活の中で多く歌われた堀内敬三作詞・作曲の「六中健児の歌」にも、興国の鐘は登場する。
坂本龍一も鐘楼のことは覚えていて、前記の同窓生インタビューでも、鐘楼と興国の鐘や六中健児の歌を高校で最初に思い浮かぶものと語っていたくらいだ。
NHKの追悼番組「クローズアップ現代」で、彼の生前のインタビューが放映されていた(2023年4月4日)。
その中で彼は、「生活の中にある「音」を人間は勝手に、良い音と悪い音に分けている。公平に音を聴いた方が良い」として、街頭のさまざまな音を再録していると言っていた。
そう! 私も自著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の中で、
「害虫と益虫(害獣や雑草とそうでないものなども)の線引きは、人間の一方的な価値判断であり、それも現時点でのものだ。」と記した。
強引だけれども、坂本龍一は「音」で、私は「生きもの」で、同趣旨の思いを抱いていたともいえる?
坂本龍一の言う「音」についても、私はかつて別のブログで「音楽と騒音と」と題した記事をアップしたことがある。
その記事では、アイルランドのパブの音楽と、新橋や渋谷の大画面スクリーンの音楽やスナックのカラオケなどを取り上げ、その違和感を述べた。
そして、電車ホームなどでの注意喚起アナウンスなどについて、
「障害のある方々には、ある程度の注意喚起のためのお知らせは必要だろう。しかし、今日の日本の注意喚起アナウンスは、事故が起きるたびにエスカレートし、責任回避に過ぎないようなものも多い気がする。
また、否応なしに耳に飛び込んでくる「音楽」も、発信者には理由があっても受け手には苦痛な「騒音」となることも多い。親切が迷惑にならないようにしたいものだ。」とも書いた。
生きものの有益と有害について私は、自著の中で上記に続いて、
「この線引きは、科学技術の進展、生活様式(ライフスタイル)の変化、さらには倫理観の変化などによって、いつ反転してしまうかもわからない。」と述べた。
人間の都合で悪者にされて根絶された後で、生態系が乱れて人間にも影響が出たり、新たに役に立つ用途が見つかったりして、根絶しなければよかったと後悔することになるかもしれない。実際に、後悔することになった事例も著書では紹介した。
関連する話題として、このブログの過去記事では、オオカミの絶滅とシカの増加について記した。
人間が自分たちの都合で勝手に自然や対象を線引きする危うさ。
このことは、人間同士、国々を含む人間世界でも当てはまることだろう。
坂本龍一も、日常の音(自然の音も含む)に対して同じような思いを持っていたのかもしれない。
団体行動や権威主義が嫌いだった坂本龍一は、高校時代には学生運動の戦士だったとの伝説が残る。
時代は大学闘争(紛争)の真最中で、私も大学入学後すぐに全学ストに突入した経験がある。
彼ら高校生も、管理教育や社会そのものに異を唱えて、一部の高校では過激な行動もとられた。
坂本龍一も、そうした時代の潮流の中で闘争に関わっていたというが、「既存のセクトに属してその歯車にはなりたくなかった」ということで、特定セクトの活動家ではなく、いわゆる全共闘の一人にすぎなかったようだ(前述の同窓会インタビュー)。
そんな彼は、有名になってからも、脱原発運動や森林保全団体のMore Trees代表もするなど、平和問題・環境問題に積極的に関わり、行動してきた。
この辺は、坂本龍一の死の直前に亡くなったノーベル賞作家の大江健三郎さんの行動にも通ずるところがある。
坂本龍一は、亡くなる直前にも、明治神宮外苑の再開発によって大量の樹木が伐採されるのを阻止するため、計画見直しを求める手紙を小池百合子・東京都知事ほかに送っていたことが明らかになった。
人間の都合で線引きされる益虫と害虫、作物と雑草など、の危うさを上記でも述べた。
しかし現実の世界で私は、家に飛び込んできた虫は、できるだけ外に逃がすようにしているが、時にはつまんだ拍子に押しつぶしてしまうこともある。
蚊となれば反射的に手で叩いてしまう。
畑仕事では雑草取りに音を上げたりしている。
全く自分勝手で、言うことと行動が異なっているのは否定しない。
私が著作や講演で述べることと、実際の行動が不一致なこと、あるいは行動に移せず躊躇してしまうことは、このブログでもたびたび自戒を込めているとおりだ。
そんな私と違って、彼は理念と行動の一致度がずっと高いようにもみえる。
一方で、団体行動など既成に束縛されるのを嫌うところは、似ているようでもある。
その坂本龍一は、街頭のさまざまな「音」をどのような思いで再録していたのだろうか。