みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

シカの増加はオオカミ絶滅のせい? シカ食害と対策を考える旅路

最近、各地で野生動物、特にシカが増えたという話を聞く。

私がかつて(およそ半世紀ほど前)北海道の阿寒湖で仕事をしていた時には、動物の写真を撮りたい一心でエゾシカの姿を求めたが、なかなか目にすることもできなかった。

釧路市に出かけた帰りの夕刻、霧の立ち込めた沿道の牧場で時折数頭のシカを見ることができ、それだけで心躍ったものだ。

しかし最近(といっても5年ほど前)阿寒湖を訪れた際には、平地の牧場では10頭は超えるであろう群れを見ることができたし、山間部のエゾマツの林でもクマザサの林床からシカが頭をもたげているのを何度も目撃できた。

エゾシカの親子(知床五湖にて)

今回は、シカの個体数増加と日光国立公園尾瀬国立公園での生態系への影響と対策をみてみる。

 

目次

 

シカの増加

ニホンジカ(本州以南に生息、北海道のエゾシカは除く)の生息数は、環境省の調査(個体数推定)によれば約200万頭で、2015年頃までは毎年増加傾向にあり、その後は少しずつ減少傾向にあるという。

明治時代以降、毛皮や食肉のためにシカが乱獲され、生息数も激減し、地域によっては絶滅するまでに至った。

そのシカが増加した原因のひとつには、捕獲規制がある。

戦後は、ディズニー映画のバンビなど可愛いイメージも重なって捕獲規制が進み、2007年までメスジカは禁猟となった。

私がかつて勤務した香川県では、「県民獣」として小豆島などに生息するシカが指定されていた。県民獣(または県獣)としてシカ(カモシカは除く)を指定しているのは、香川県以外にも、宮城県山口県長崎県がある。

捕獲規制の解除、あるいは有害駆除が許可されてもその時にはすでに、老齢化などによるハンター人口(狩猟免許所持者数)の減少により、捕獲によってシカの増加を食い止めることはできない状態となっていた。

そして、シカ増加の原因は、もともと繁殖力が高いということも理由に挙げられる。

 

皆伐と温暖化

繁殖力の高さ故の増加に、さらに拍車をかけたのが次の2点による豊富な餌だ。

ひとつめは、戦後復興の木材供給のための奥山の一斉皆伐と造林だ。

伐採直後の造林地は植林木も小さく、あたかも草原のようでもある。これはまさに、シカにとっては広大な餌場以外の何物でもない。

人々の活動領域がシカの生息地であった奥山にまで拡大し、造林地や牧草地などでシカに餌場を提供することとなったのだ。

二つめは、地球温暖化による積雪の減少だ。

足が細く、蹄が小さいシカは、積雪があると雪に足を取られて移動が困難になる(カンジキの逆現象)。また、食草も雪の下に埋もれて食べにくい。このため多くのシカが餓死などによって個体数を減じていた。

しかし近年の小雪は、スキー場でも積雪を見ることが遅くなり、ゲレンデは格好のシカの餌場となる。雪に足を取られることもなく、広範囲に移動することもできるため、山麓などの餌場にも行き来することができ、シカにとってはまさに飽食の時代だ。

つまり、繁殖力の大きさという自然の力はあるにせよ、人間の活動によってシカの個体数が増加したということだ。人ごとのようにシカや生態系に責任を押し付けてはいけない!

それだけではない。前のブログ記事で紹介した、天敵ニホンオオカミの絶滅もシカの増加の原因、とする言説も見かける。これだって人間活動の結果だ。

 

bio-journey.hatenablog.com

 

しかし、オオカミが絶滅したのは明治時代で、シカ増加の影響が顕著になってきたのは100年以上たった近年だから、直接の原因とは言い切れないかもしれない。

とはいえ、生態学の本などで見かける「食物連鎖」や「生態系ピラミッド」の図の頂点に立つオオカミの不在は、何らかの形で影響があるのは確実だろう。

少なくともオオカミが生息していれば、シカの生息数にも一定の個体数コントロールが効いたに違いない。この辺りは、後日もっと詳しく考えてみたい。

シカの食害と対策

シカの増加により、造林地では植林したばかりの稚樹が根こそぎ食べられてしまう。稚樹だけでない。

冬場の餌の少ない時期にはある程度育った樹木も、下あごでこそぎ取るようにして樹皮が剥がされてしまい、全周を剝がされた樹木は水分の移動などもできずに枯れてしまう。林業家にとっては大問題だ。

シカに樹皮を剥かれた樹木(戦場ヶ原での野外学習にて)

一方で、上で述べたとおり、シカにとっては、人間がわざわざ餌場を整備してくれていると思い込んでいる節もある。

林業への被害だけではなく、生態系や景観(を売り物にする観光も)への影響も深刻だ。

日光国立公園では、有名な霧降高原のニッコウキスゲの大群落がシカの食害で絶滅寸前になってしまった。植物群落全体をネットで囲んだり、シカを追い払ったりと、絶滅を回避するための努力が続けられている。

戦場ヶ原でも、特別保護地区の戦場ヶ原にシカが侵入し、貴重な高山植物などを食べ荒らしている。このため、樹木にネットを巻き付けて食害に合わないようにしたり、戦場ヶ原全体をネット柵で囲んでシカが侵入しないようにしている。

シカ食害対策として樹幹に巻き付けられたネット(日光国立公園にて)

ネット柵の外側(戦場ヶ原の周囲)は、シカによって林床のササや草が食われて裸地になっている。それに対して、内側(戦場ヶ原側)は、シカに食われないために緑が残っている。その差は歴然としている。しかし、ネットの破れ目などからシカが戦場ヶ原内に侵入することがある。

見難いが、ネットの外側(右奥手)の裸地と内側(左手前)の草地(戦場ヶ原にて)
ネットの破れ目から侵入したシカ(戦場ヶ原にて)

 

尾瀬国立公園でも、やはりシカによる貴重な植物の食害が問題となっている。ニッコウキスゲなどは食べられてしまうが、一方で毒素があるといわれるコバイケイソウはシカが食べずに繁茂している。

シカに食べ残されたコバイケイソウ尾瀬国立公園にて)

日光国立公園戦場ヶ原と同様、尾瀬国立公園でもシカが尾瀬沼尾瀬ヶ原に侵入しないように、周囲をネット柵で囲い、登山道にはシカの蹄が滑って侵入しにくくするための鉄板(グレーチング)が設置されている。

そう!グレーチングは、靴底に付いてきた外来植物の種子を落とすためのものではなく、シカの侵入防止のためなのだ。外来植物種子を落とすためには、玄関マットのようなブラシが置かれていることもある。

ここでも、ネット柵の外側(下の写真手前側)は裸地化しているが、ネット柵内(写真奥側)はまだ緑が残っている。

シカ防止ネット柵の内外通路、境目には滑りやすいグレーチング(尾瀬にて)

最近では、野生生物とはいえ、かつてのような保護一辺倒ではなく、積極的に捕獲して生息数をコントロールする個体群管理や無用な餌場を拡大しないなど生息環境の管理が実施されている。

また、有害駆除で捕殺したものを埋土処理するだけではなく、命を無駄にせず恵みに感謝し、また有害駆除の担い手を確保する意味からも、ジビエ(食肉)や皮や角の製品利用なども進められている。

 

オオカミ再導入?

一方で、生態系ピラミッドの頂点に立つオオカミを再導入して、シカ個体数を生態系としてコントロールすればよいとの主張も、ニホンオオカミ協会(会長 丸山直樹・東京農工大学名誉教授)らによりなされている。

実際に米国のイエローストーン国立公園では、1926年にオオカミが絶滅したが、これにより増えすぎたエルク(シカ)による生態系荒廃に対処するために、1995年にカナダで捕獲された31頭のオオカミが再導入された。

これに対して、日本の環境省などでは、外国産オオカミの導入は生態系への影響や家畜・人間への安全性などの点から様々な懸念があるとして、慎重な姿勢をとっている。

 

米国イエローストーン国立公園でのオオカミ再導入の際にも激しい論争があったようだ。

また、日本と米国では、生態系の規模や構成、野生と人間社会との距離なども異なり、私としてはどちらが良いかの判断はできない。

先のジビエなども含め、野生生物と私たち人間との共生への模索が続いている。

それにしても、古代から人間と共生してきたオオカミを始めとした野生生物。その関係が狂ったのはいつからだろうか。

 

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この記事は、拙著『生物多様性を問いなおす』(ちくま新書)の第3章「便益と倫理を問いなおす」第1節「生きものとの生活と信仰」に掲載の「オオカミ信仰」を参考としています。

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