みどりの旅路

実務と研究から自然と文化をたどる共生論・多様性論

坂本龍一 街頭音採録の背後には

坂本龍一さん(以下、敬称略)の死の公表から1カ月以上が経つが、未だにその死を惜しむ声は続き、マスコミなどでも特集が組まれたりしている。

 

実は、坂本龍一は、同じ高校(都立新宿高校)の後輩にあたる。

ただそれだけで、会ったこともない。別に自慢にもならない。

それどころか、私はYMOの曲を聴くわけでもない。せいぜい「君に、胸キュン。」のメロディーなら聴いた記憶があるというくらいかな。

そんな私が、彼の名とともに後輩だということを知ったのは、『戦場のメリークリスマス』や『ラスト・エンペラー』など彼が作曲した映画音楽が有名になって、だいぶ時間が経ってからだ。

 

どうやら彼は、私が高校3年生の時に入学してきたらしい。

ということは、砂交じりのクレイコートの校庭に整列して、校長の話を共に聴いたことがあるのかもしれない。

いや、彼は整列などの団体行動や権威主義的な話など嫌いだった(同窓生インタビューで本人が語っていた)というから、エスケープしていたに違いないけど。

その校長の背後には、校舎建て替えのために今はない、日露戦争時の日本海海戦連合艦隊旗艦だった戦艦三笠の鐘(興国の鐘)を吊っていたという鐘楼があった。

正式な校歌よりも高校生活の中で多く歌われた堀内敬三作詞・作曲の「六中健児の歌」にも、興国の鐘は登場する。

坂本龍一も鐘楼のことは覚えていて、前記の同窓生インタビューでも、鐘楼と興国の鐘や六中健児の歌を高校で最初に思い浮かぶものと語っていたくらいだ。

 

NHKの追悼番組「クローズアップ現代」で、彼の生前のインタビューが放映されていた(2023年4月4日)。

その中で彼は、「生活の中にある「音」を人間は勝手に、良い音と悪い音に分けている。公平に音を聴いた方が良い」として、街頭のさまざまな音を再録していると言っていた。

そう! 私も自著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の中で、

「害虫と益虫(害獣や雑草とそうでないものなども)の線引きは、人間の一方的な価値判断であり、それも現時点でのものだ。」と記した。

強引だけれども、坂本龍一は「音」で、私は「生きもの」で、同趣旨の思いを抱いていたともいえる?

 

坂本龍一の言う「音」についても、私はかつて別のブログで「音楽と騒音と」と題した記事をアップしたことがある。

staka-kyoeiac.blog.ss-blog.jp

 

その記事では、アイルランドのパブの音楽と、新橋や渋谷の大画面スクリーンの音楽やスナックのカラオケなどを取り上げ、その違和感を述べた。

そして、電車ホームなどでの注意喚起アナウンスなどについて、
「障害のある方々には、ある程度の注意喚起のためのお知らせは必要だろう。しかし、今日の日本の注意喚起アナウンスは、事故が起きるたびにエスカレートし、責任回避に過ぎないようなものも多い気がする。
また、否応なしに耳に飛び込んでくる「音楽」も、発信者には理由があっても受け手には苦痛な「騒音」となることも多い。親切が迷惑にならないようにしたいものだ。」とも書いた。

 

生きものの有益と有害について私は、自著の中で上記に続いて、

「この線引きは、科学技術の進展、生活様式(ライフスタイル)の変化、さらには倫理観の変化などによって、いつ反転してしまうかもわからない。」と述べた。

人間の都合で悪者にされて根絶された後で、生態系が乱れて人間にも影響が出たり、新たに役に立つ用途が見つかったりして、根絶しなければよかったと後悔することになるかもしれない。実際に、後悔することになった事例も著書では紹介した。

関連する話題として、このブログの過去記事では、オオカミの絶滅とシカの増加について記した。

bio-journey.hatenablog.com

 

人間が自分たちの都合で勝手に自然や対象を線引きする危うさ。

このことは、人間同士、国々を含む人間世界でも当てはまることだろう。

坂本龍一も、日常の音(自然の音も含む)に対して同じような思いを持っていたのかもしれない。

 

団体行動や権威主義が嫌いだった坂本龍一は、高校時代には学生運動の戦士だったとの伝説が残る。

時代は大学闘争(紛争)の真最中で、私も大学入学後すぐに全学ストに突入した経験がある。

彼ら高校生も、管理教育や社会そのものに異を唱えて、一部の高校では過激な行動もとられた。

坂本龍一も、そうした時代の潮流の中で闘争に関わっていたというが、「既存のセクトに属してその歯車にはなりたくなかった」ということで、特定セクトの活動家ではなく、いわゆる全共闘の一人にすぎなかったようだ(前述の同窓会インタビュー)。

 

そんな彼は、有名になってからも、脱原発運動や森林保全団体のMore Trees代表もするなど、平和問題・環境問題に積極的に関わり、行動してきた。

この辺は、坂本龍一の死の直前に亡くなったノーベル賞作家の大江健三郎さんの行動にも通ずるところがある。

坂本龍一は、亡くなる直前にも、明治神宮外苑の再開発によって大量の樹木が伐採されるのを阻止するため、計画見直しを求める手紙を小池百合子東京都知事ほかに送っていたことが明らかになった。

 

再開発の影響が懸念されるイチョウ並木(明治神宮外苑にて)

 

人間の都合で線引きされる益虫と害虫、作物と雑草など、の危うさを上記でも述べた。

しかし現実の世界で私は、家に飛び込んできた虫は、できるだけ外に逃がすようにしているが、時にはつまんだ拍子に押しつぶしてしまうこともある。
蚊となれば反射的に手で叩いてしまう。
畑仕事では雑草取りに音を上げたりしている。

全く自分勝手で、言うことと行動が異なっているのは否定しない。

私が著作や講演で述べることと、実際の行動が不一致なこと、あるいは行動に移せず躊躇してしまうことは、このブログでもたびたび自戒を込めているとおりだ。

 

bio-journey.hatenablog.com

 

そんな私と違って、彼は理念と行動の一致度がずっと高いようにもみえる。

一方で、団体行動など既成に束縛されるのを嫌うところは、似ているようでもある。

その坂本龍一は、街頭のさまざまな「音」をどのような思いで再録していたのだろうか。

 

 

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シカの増加はオオカミ絶滅のせい? シカ食害と対策を考える旅路

最近、各地で野生動物、特にシカが増えたという話を聞く。

私がかつて(およそ半世紀ほど前)北海道の阿寒湖で仕事をしていた時には、動物の写真を撮りたい一心でエゾシカの姿を求めたが、なかなか目にすることもできなかった。

釧路市に出かけた帰りの夕刻、霧の立ち込めた沿道の牧場で時折数頭のシカを見ることができ、それだけで心躍ったものだ。

しかし最近(といっても5年ほど前)阿寒湖を訪れた際には、平地の牧場では10頭は超えるであろう群れを見ることができたし、山間部のエゾマツの林でもクマザサの林床からシカが頭をもたげているのを何度も目撃できた。

エゾシカの親子(知床五湖にて)

今回は、シカの個体数増加と日光国立公園尾瀬国立公園での生態系への影響と対策をみてみる。

 

目次

 

シカの増加

ニホンジカ(本州以南に生息、北海道のエゾシカは除く)の生息数は、環境省の調査(個体数推定)によれば約200万頭で、2015年頃までは毎年増加傾向にあり、その後は少しずつ減少傾向にあるという。

明治時代以降、毛皮や食肉のためにシカが乱獲され、生息数も激減し、地域によっては絶滅するまでに至った。

そのシカが増加した原因のひとつには、捕獲規制がある。

戦後は、ディズニー映画のバンビなど可愛いイメージも重なって捕獲規制が進み、2007年までメスジカは禁猟となった。

私がかつて勤務した香川県では、「県民獣」として小豆島などに生息するシカが指定されていた。県民獣(または県獣)としてシカ(カモシカは除く)を指定しているのは、香川県以外にも、宮城県山口県長崎県がある。

捕獲規制の解除、あるいは有害駆除が許可されてもその時にはすでに、老齢化などによるハンター人口(狩猟免許所持者数)の減少により、捕獲によってシカの増加を食い止めることはできない状態となっていた。

そして、シカ増加の原因は、もともと繁殖力が高いということも理由に挙げられる。

 

皆伐と温暖化

繁殖力の高さ故の増加に、さらに拍車をかけたのが次の2点による豊富な餌だ。

ひとつめは、戦後復興の木材供給のための奥山の一斉皆伐と造林だ。

伐採直後の造林地は植林木も小さく、あたかも草原のようでもある。これはまさに、シカにとっては広大な餌場以外の何物でもない。

人々の活動領域がシカの生息地であった奥山にまで拡大し、造林地や牧草地などでシカに餌場を提供することとなったのだ。

二つめは、地球温暖化による積雪の減少だ。

足が細く、蹄が小さいシカは、積雪があると雪に足を取られて移動が困難になる(カンジキの逆現象)。また、食草も雪の下に埋もれて食べにくい。このため多くのシカが餓死などによって個体数を減じていた。

しかし近年の小雪は、スキー場でも積雪を見ることが遅くなり、ゲレンデは格好のシカの餌場となる。雪に足を取られることもなく、広範囲に移動することもできるため、山麓などの餌場にも行き来することができ、シカにとってはまさに飽食の時代だ。

つまり、繁殖力の大きさという自然の力はあるにせよ、人間の活動によってシカの個体数が増加したということだ。人ごとのようにシカや生態系に責任を押し付けてはいけない!

それだけではない。前のブログ記事で紹介した、天敵ニホンオオカミの絶滅もシカの増加の原因、とする言説も見かける。これだって人間活動の結果だ。

 

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しかし、オオカミが絶滅したのは明治時代で、シカ増加の影響が顕著になってきたのは100年以上たった近年だから、直接の原因とは言い切れないかもしれない。

とはいえ、生態学の本などで見かける「食物連鎖」や「生態系ピラミッド」の図の頂点に立つオオカミの不在は、何らかの形で影響があるのは確実だろう。

少なくともオオカミが生息していれば、シカの生息数にも一定の個体数コントロールが効いたに違いない。この辺りは、後日もっと詳しく考えてみたい。

シカの食害と対策

シカの増加により、造林地では植林したばかりの稚樹が根こそぎ食べられてしまう。稚樹だけでない。

冬場の餌の少ない時期にはある程度育った樹木も、下あごでこそぎ取るようにして樹皮が剥がされてしまい、全周を剝がされた樹木は水分の移動などもできずに枯れてしまう。林業家にとっては大問題だ。

シカに樹皮を剥かれた樹木(戦場ヶ原での野外学習にて)

一方で、上で述べたとおり、シカにとっては、人間がわざわざ餌場を整備してくれていると思い込んでいる節もある。

林業への被害だけではなく、生態系や景観(を売り物にする観光も)への影響も深刻だ。

日光国立公園では、有名な霧降高原のニッコウキスゲの大群落がシカの食害で絶滅寸前になってしまった。植物群落全体をネットで囲んだり、シカを追い払ったりと、絶滅を回避するための努力が続けられている。

戦場ヶ原でも、特別保護地区の戦場ヶ原にシカが侵入し、貴重な高山植物などを食べ荒らしている。このため、樹木にネットを巻き付けて食害に合わないようにしたり、戦場ヶ原全体をネット柵で囲んでシカが侵入しないようにしている。

シカ食害対策として樹幹に巻き付けられたネット(日光国立公園にて)

ネット柵の外側(戦場ヶ原の周囲)は、シカによって林床のササや草が食われて裸地になっている。それに対して、内側(戦場ヶ原側)は、シカに食われないために緑が残っている。その差は歴然としている。しかし、ネットの破れ目などからシカが戦場ヶ原内に侵入することがある。

見難いが、ネットの外側(右奥手)の裸地と内側(左手前)の草地(戦場ヶ原にて)
ネットの破れ目から侵入したシカ(戦場ヶ原にて)

 

尾瀬国立公園でも、やはりシカによる貴重な植物の食害が問題となっている。ニッコウキスゲなどは食べられてしまうが、一方で毒素があるといわれるコバイケイソウはシカが食べずに繁茂している。

シカに食べ残されたコバイケイソウ尾瀬国立公園にて)

日光国立公園戦場ヶ原と同様、尾瀬国立公園でもシカが尾瀬沼尾瀬ヶ原に侵入しないように、周囲をネット柵で囲い、登山道にはシカの蹄が滑って侵入しにくくするための鉄板(グレーチング)が設置されている。

そう!グレーチングは、靴底に付いてきた外来植物の種子を落とすためのものではなく、シカの侵入防止のためなのだ。外来植物種子を落とすためには、玄関マットのようなブラシが置かれていることもある。

ここでも、ネット柵の外側(下の写真手前側)は裸地化しているが、ネット柵内(写真奥側)はまだ緑が残っている。

シカ防止ネット柵の内外通路、境目には滑りやすいグレーチング(尾瀬にて)

最近では、野生生物とはいえ、かつてのような保護一辺倒ではなく、積極的に捕獲して生息数をコントロールする個体群管理や無用な餌場を拡大しないなど生息環境の管理が実施されている。

また、有害駆除で捕殺したものを埋土処理するだけではなく、命を無駄にせず恵みに感謝し、また有害駆除の担い手を確保する意味からも、ジビエ(食肉)や皮や角の製品利用なども進められている。

 

オオカミ再導入?

一方で、生態系ピラミッドの頂点に立つオオカミを再導入して、シカ個体数を生態系としてコントロールすればよいとの主張も、ニホンオオカミ協会(会長 丸山直樹・東京農工大学名誉教授)らによりなされている。

実際に米国のイエローストーン国立公園では、1926年にオオカミが絶滅したが、これにより増えすぎたエルク(シカ)による生態系荒廃に対処するために、1995年にカナダで捕獲された31頭のオオカミが再導入された。

これに対して、日本の環境省などでは、外国産オオカミの導入は生態系への影響や家畜・人間への安全性などの点から様々な懸念があるとして、慎重な姿勢をとっている。

 

米国イエローストーン国立公園でのオオカミ再導入の際にも激しい論争があったようだ。

また、日本と米国では、生態系の規模や構成、野生と人間社会との距離なども異なり、私としてはどちらが良いかの判断はできない。

先のジビエなども含め、野生生物と私たち人間との共生への模索が続いている。

それにしても、古代から人間と共生してきたオオカミを始めとした野生生物。その関係が狂ったのはいつからだろうか。

 

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この記事は、拙著『生物多様性を問いなおす』(ちくま新書)の第3章「便益と倫理を問いなおす」第1節「生きものとの生活と信仰」に掲載の「オオカミ信仰」を参考としています。

目次(構成)などの概要は、下の記事をクリックしてご覧ください。

 

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カカオ農家支援の情熱活動 ガーナでチョコの生産販売

少し前の新聞(2023年4月13日付朝日新聞東京本社版夕刊)に、ガーナのカカオ農家支援活動をしている田口愛さんの記事が載っていた。

幼少期から好物だったチョコレートを生産しているカカオ農園では、幼い子どもが低賃金で働かされていることを小学生の時に本で知ったという。

そして、大学1年の時にアルバイトでためた30万円を手に一人でガーナに渡り、カカオ農家に2カ月滞在。

そこで、カカオ生産者であるにもかかわらず、貧困にあえぐ彼らはチョコレートを食べたこともないという事実を知った。

田口さんは、ユーチューブでチョコの作り方を調べて、持参したミキサーでカカオ豆からチョコを作り、村人に振舞ったところ、大変喜ばれたという。

 

日本でも魚や野菜・果実などの高級品は、すべて東京や京都などの高級料亭・レストランに回り、生産地の人々の口には入らないというのは、よく聞く話だ。

しかし、そこで終わらないのが彼女の素晴らしいところ。輸出作物のカカオ豆を生産していても、ちっとも豊かにならず貧困となる原因を突き止め、新しい仕組みを作ったのだ。

ガーナでは、生産されたカカオ豆を政府組織の「ココボード」などが一律の価額で買い取って輸出している。その買取価格は、重さに従うだけで品質は関係ないため、時には小石を入れたりして増量することもあるという。そのためガーナ産カカオ豆は低品質の印象があり、買いたたかれるようだ。

 

田口さんの新しい仕組みは、農家に高級品質の豆を生産してもらい、相場の1.5倍の価格で直接買い取り、日本で高く販売して利益を還元するというものだ。

大学3年生の時には「エンプレーソ」という会社を立ち上げ、ついには大学も退学して事業に専念しているという。

 

私のブログ記事でも、チョコレートの原料カカオとチョコレート製造の話や

 

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カカオ豆原産地・生産地と帝国主義時代の植民地化、現代でのガーナなど生産者の貧困とフェアトレードSDGsなどについても取り上げた。

 

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私は、生物多様性と関連する事柄を少しでも多くの人々に知ってもらいたいとの願いから、このブログを開始した。

 

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しかし言ってみれば、知識、いわゆる「頭でっかち」ばかりで、田口さんのように行動は伴わないという忸怩たる思いがある。

文章や口だけではなく、やはり行動でもって世の中を変えることは大変すばらしいことだ。

生物多様性分野でも、若者たちが積極的に関わり、昨年12月にモントリオール(カナダ)で開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)にも参加した。参加費を募るクラウドファンディングに、私も微力ながら協力した。

 

若い人々の行動力には、羨ましいと思うと同時に期待もしている。

まぁ、歳だからという言い訳もあるけれど、こんなブログを15年以上にわたり細々と発信し続けていることで、情熱の余焔(残り火)を感じていただければ幸いである。

 

オオカミ信仰 関東最強のパワースポット三峯神社

ニホンオオカミは犬との混血?」記事で、三峯神社などでのオオカミ信仰について記事を書くことをお約束してからからほぼ1か月が経ってしまった。

そこで、この記事では、「人間と野生動物」の関係の視点から、オオカミ信仰をみてみよう。そして、三峯神社探訪も。

 

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目次

 

オオカミ信仰の原初

人と野生動物の関係は、最近では、農作物などへの「鳥獣被害」さらには新型コロナで突如脚光を浴びた「人獣共通感染症」など伝染病や寄生虫の宿主など、もっぱら悪者扱いされることが多い。

約20万年前に誕生した私たちホモ・サピエンス(現生人類)は、自然を食糧、さらには衣服や建材、燃料、医薬品などとして利用し、時には改変・破壊さえも行ってきた。農業が開始されたおよそ一万年前から、植物の種子をまいて作物を育て、野生動物を食料(肉)や様々な素材の提供、あるいは労働力や移動手段などのために「家畜」化し、あるいは「ペット」として飼い慣らしもした。

最初の家畜ともいわれる「犬」は、狩猟犬やペットなどとして、古代の狩猟採集時代から世界各地で人類に飼育されてきた。日本でも縄文時代には既に、縄文犬と呼ばれる犬がいたようだ。

これらの犬は、野生のオオカミを飼い慣らしたもので、オオカミと犬のDNAは98.8%が同一だという。

 

一方で人類は、自然に畏敬の念を持ち、そこに神の存在を信じてもいた。自然信仰(アニミズム)が成立したのは、人類の歴史上普遍的でもあった。(アニミズムについては、また後日記事アップしたい)

生態系の食物連鎖の頂点に君臨する肉食動物のオオカミも、その精悍な姿と遠吠えを含む立ち振る舞いにより、人々から畏怖されてきた。

しかし、それだけではない。山の樹や畑を荒らすシカやイノシシなどの害獣を追い払う益獣とも考えられたのだ。

これらのことから、オオカミは大口真神(おおぐちのまがみ)として崇められた。

そもそも、オオカミの名も大口真神の大神(おおかみ)から由来しているともいわれている。

こうして、甲州から関東一円で、オオカミが信仰されてきた(日本各地で信仰されてきたに違いないが、直接確認していないので、今回は関東地方に限定する)。

 

三峯神社のオオカミ

秩父の山奥、標高およそ1100メートルの三峯神社(埼玉県秩父市)は、伝説によれば、日本武尊が東征の途中で創建した。周囲を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山から三峯の名となったという。修験道の祖の役の小角や空海とも縁があるようだ。

三峯神社本殿(拝殿)
鮮やかな彫刻

 

三峯神社では、ご眷属(けんぞく)、すなわちお使い神としてお犬様を信仰している。なんでも、日本武尊が奥深いこの地に足を踏み入れた時に道案内をしたのが山犬で、その忠実さと勇猛さによってご眷属に定められたという。

ご眷属であるとともに、盗難除けや火難除けの霊力のあるオオカミが信仰され、江戸時代には10万石の格式を持つ霊地、すなわち現代でいうパワースポットとして多くの人々が訪れた。

 

私が訪れたのは、ある年の10月。神社参道入口の「三ツ鳥居」の両脇では、いわゆる狛犬ではなく(?)精悍な狼(山犬)が出迎えた。さらに奥の「随身門」(仁王門)など、境内のあちこちに狼が鎮座している。

数多くのオオカミ像によって護られている霧深い幽玄の山奥の地では、今日でも野生のオオカミが生息し、今にも藪影から飛び出してきそうな気配が感じられる。

三峯神社では、お札(ふだ)も狼だ。

 

参道入口の三ツ鳥居ではオオカミがお出迎え

 

隋身門でも両脇はオオカミ
境内のあちこちにオオカミ像、お札もオオカミ

 

ご眷属のオオカミ(山犬)は、深い山中に身を潜めているために、お祭りをおこなうための仮のお宮として創建されたのが「遠宮」、別名「御仮屋」と呼ばれる小さな祠で、拝殿のさらに奥の道にある。

その祠の内外は、ご眷属の山犬、つまりオオカミに護られている。

御仮屋(遠宮)の石段
御仮屋の祠 内外はオオカミに護られている

 

本殿脇には、私の生家もある江戸・四谷(現、東京都新宿区)の住人が奉納し た一対の狼像が鎮座している。

江戸・四谷の住人から寄進されたオオカミ(本殿階段脇)

現代と違い、電車や自動車はないから、当然のこと歩いてきたのだろう。

はるばる江戸市中から秩父の山奥にまで参詣したのは、単に魔除けなどのご利益だけではなく、今日の観光的な意味合いもあるかもしれない。

しかし、奉納者自身は意識していないだろうが、オオカミが生息する源流部の森林を守ることは、下流の江戸の人々にとっては洪水を防ぎ、飲料水を確保することにもなったのだ。

 

御岳神社でもオオカミ信仰

奥多摩御岳神社(東京都青梅市)でも、魔除けや獣害除けの霊験として信仰されている。

御岳山ケーブル

御岳神社本殿

御岳神社でもお札はオオカミ

 

そして巨樹信仰

三峯神社拝殿脇には、パワースポットのご神木、「重忠杉」もある。鎌倉時代の武将、畠山重忠が植樹したと伝えられている。

拝殿脇の大杉に触れるとご神木の気が貰えるというので、滞在していた短時間でも次々と参拝客が訪れた。ご神木は、参拝客のの手当てで黒光りしているほどだ。

パワースポット参拝

子どもの健やかな成長を祈る?夫婦

遠宮の近くの「縁結びの木」も、特に若い女性には人気があるようだ。

遠宮近くの「縁結びの木」

 

私は、「全国巨樹・巨木林の会 (kyojyu.com)」という巨樹の愛好家や関係自治体・機関が会員の団体の会長を10年以上仰せつかっている。

会では、毎年「巨木を語ろう全国フォーラム」を地元と共催で開催している。

新型コロナ感染拡大でしばらく休止となったが、昨年は第33回大会が三宅島(東京都)、今年2023年10月には第34回が階上町(青森県)での開催だ。

この巨樹やパワースポットなどについては、また別の機会に紹介したい。

 

この記事は、拙著『生物多様性を問いなおす』(ちくま新書)の第3章「便益と倫理を問いなおす」第1節「生きものとの生活と信仰」に掲載の「オオカミ信仰」を参考としています。

オオカミ絶滅による生態系影響、イエローストーン国立公園でのオオカミ再導入などについては、またの機会に!

 

先を急ぎたい方、詳細を知りたい方は、上記の拙著をご覧ください。

目次(構成)などの概要は、記事「『生物多様性を問いなおす』書評と入試問題採用 - みどりの旅路 (hatenablog.com)」からご覧ください。

 

より深く知りたい方のご参考までに

オオカミ信仰、自然信仰(アニミズム)などについては実に多くの書籍があるが、この記事に関連するものとして例えば、前回紹介した

遠藤公男『ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見』山と渓谷社、2018年

のほか、以下のものなどがある。


伊東俊太郎(編)『日本人の自然観 縄文から現代科学まで』河出書房新社、1995年

野本寛一『生態と民俗 人と動植物の相渉譜』講談社、2008年

菱沼勇『日本の自然神』有峰書店新社、1985年

安田喜憲一神教の闇 アニミズム復権筑摩書房、2006年

続 光るメダカで逮捕者 ―遺伝子組換えとカルタヘナ法

光るメダカの飼育と販売で逮捕者が出たことから、前回記事では遺伝子組換え生物やその取扱いに関する国際条約に基づく「カルタヘナ法」について取り上げた。
しかし、途中で息切れして(というか、あまり長文のブログもどうかとも思い)カルタヘナ法にまでたどり着けなかった。

ということで、前回記事の品種改良と遺伝子組換えの比較、その事例である緑の革命青いバラの紹介、これに関してのノーベル賞受賞とその後の評価などに続き、今度こそ遺伝子組換え生物をめぐる国際間の攻防に迫りたい。

 

目次

 

遺伝子組換え作物

伝統的な品種改良によって収穫量の多い作物などが開発され、「緑の革命」では途上国などで広く生産されて飢餓の克服に貢献したことは、前回記事の通りだ。

 

最初の遺伝子組換え商品は糖尿病などに使用される医薬品の合成インスリンだというが、伝統的に品種改良が行われていた農業分野でも、遺伝子組換え作物(GM作物)が早速登場した。

1994年に米国で最初のGM作物として市場に出たのは、 「フレイバー・セーバー」と名付けられた日持ちの良いトマトだった。

それ以来、トウモロコシ、コムギ、コメ、ダイズ、綿花、ナタネ、ジャガイモなど、多くの作物で遺伝子組換えが行われ、作付面積も世界中に広がっている。

このほかにも、多くの食料品や薬品などが、自然界の生物資源を基にバイオテクノロジー技術で生産されている。

 

グローバル企業の遺伝子組換え戦略

特にトウモロコシ、コムギ、コメ、ダイズ、綿花、ナタネ、ジャガイモなどでGM作物が広まった理由の一つには、グローバル企業による戦略もあった。

農作業の大敵に害虫と雑草がある。

 

このうち、害虫に対しては、殺虫剤を用いる必要のないGM作物も登場した。

土壌細のバチルス・チューリンゲンシス(Bt)を食べた昆虫が突然死するのに気づいたのは日本の科学者石渡繁胤だった。
しかし、殺虫剤として商品化されたのは1930年代のフランスだった。

その後、1990年代にはバイオテクノロジーの発展により、Btを組み込んだBtトウモロコシやBt綿が栽培されるようになった。

DDTなどの農薬使用を激減させるBtトウモロコシ、Bt綿、さらにBtジャガイモなどの作付面積は急速に拡大した。

 

雑草に対してもBt作物が一役買っている。

除草剤の効き目を高めるほど、肝心の作物にまで影響が出てしまう。

そこで、米国のグローバル化学企業モンサント社(2018年にバイエル社が買収)は、強力な除草剤ラウンドアップ(成分名グリホサート)を開発した。

農作物の大敵である雑草対策の除草剤開発において、雑草だけを枯らしてしまう選択性の除草剤開発は困難だ。

そこで、すべての植物を枯らす強力な除草剤を開発し、この除草剤の影響を受けない遺伝子を改変した除草剤耐性農作物品種が考えられた。

これは、除草剤と農作物品種をセットにして販売して利益を得ようとするビジネスモデルの一種でもある。

 

さらに、企業側は、自分の特許を守るために、開発品種の子孫が種子をつけられないようにする「ターミネーター遺伝子」を開発して、開発品種に組み込むまでになっている。

この結果、農民は毎年種子会社から種子を買うことを余儀なくされる。

これって、PCアプリなどのサブスクリプション(サブスク)と同じじゃん!

それだけではない。ターミネーター作物の生態系への漏出により、種子植物に種子のつかない不稔性が徐々に広がれば、生態系そのものの滅亡の恐れもあることが指摘されている。これは、害虫対策としての不妊性昆虫でも同じだ。

 

生物多様性条約とバイオセイフティ

生物多様性条約の制定をめぐっては、先進工業国と発展途上国(最近では、グローバル・ノースとグローバル・サウス、という言い方が流行っている?)の対立、いわゆる南北対立があった(詳細は後日解説したい)。

遺伝資源や遺伝子改変の安全性関連の条文は、主として途上国の主張により挿入された。

熱帯などの途上国に存在する生物資源から、先進国(実際には主に米国などの多国籍企業)は食料品や医薬品などを製品化して大儲けしている。その過程で、バイオテクノロジー(バイテク)による遺伝子組換えも行われる。

途上国は、食料品や医薬品の基となる生物資源原産国としての途上国に利益を還元し、遺伝子組換えなどの技術も移転すべきだと主張した。

先進国は、野放図な利益還元はできないし、知的財産権保護からも、途上国の主張を拒否した。

多国籍企業の議会への圧力を背景にした米国は、いまだに生物多様性条約を批准していない。

 

対立項目の一つ、バイテクによる遺伝子改変生物(遺伝子組換え生物)(LMOまたはGMO)の安全性(バイオセイフティ)とその取り扱い。

自国で生産する技術のない途上国は、LMOが自然界に放出されると生物多様性に影響があるとして、その安全性の規定を条文に盛り込むべきだと主張した。

一方、LMOを作り出している先進国(多国籍企業の意向を受けて)は、安全に配慮してLMOを取り扱っているから問題ない、それどころかバイテク産業への過剰な干渉だとして、規制に反対してきた。

結局対立は解消されないまま、生物多様性条約成立時には妥協の産物として、今後安全性に関して条約(議定書)を検討する旨が盛り込まれた。

 

カルタヘナ議定書カルタヘナ

条約を受けた度重なる締約国会議(COP)での検討を経て、LMOが自然界に放出されることによる生物多様性への影響を回避するための措置として締結されたのが「カルタヘナ議定書」(議定書:国際条約の一種)だ。

1999年にコロンビアのカルタヘナで草案が検討(採択は、翌年のカナダ・モントリオールの会議)されたことから、「カルタヘナ議定書」と呼ばれているが、正式名称は「バイオセイフティに関するカルタヘナ議定書」という。

加盟各国は、輸出の際にLMOを含んでいる場合には、LMOの明記と相手国の同意、通報などを求めている。

その後も、放出されたLMOによる生態系影響などに対する損害賠償の取り扱いなどについて対立していたが、2010年に名古屋で開催されたCOP10(MOP5)で「名古屋・クアラルンプール補足議定書」が採択された。

カルタヘナ議定書」ではまとまらなかった原状回復や賠償などについてのルールを定めている。すなわち、輸入国などでLMOによる交雑や原産種の駆逐など生態系への影響が生じた場合には、輸入国政府はそのLMOの製造・輸出入事業者などを特定し、原状回復や損害賠償、さらには賠償のための基金創設などを求めることができるものだ。

 

日本では国内法として「遺伝子組み換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」を2003年に定めている。

これが、この前回記事の冒頭にある「カルタヘナ」だ。

カルタヘナ法では、遺伝子組換え農作物の輸入や遺伝子組換え生物LMOの実験室などでの厳重な保管、持ち出し、屋外放出などが規制されている。

光るメダカでの逮捕劇は、このLMOを実験室外に持ち出し、さらに飼養や販売を行ったことによる。

日本の遺伝子組換え食品とゲノム編集

日本にもトウモロコシ、ダイズ、綿花、ナタネ、ジャガイモなど8種類320品種におよぶ大量のGM作物が輸入され、流通が認可されている(2019年8月現在)。

輸入主要穀物の半分以上がGM作物と考えられ、この大半は、家畜飼料や表示義務のない食品加工用原料に使用されている。

また、日本では5%以下のGM作物混入であればGM作物の表示義務はなく、「遺伝子組換えでない」と表示することも可能だ。これが、本年2023年4月の完全実施からは、「遺伝子組換えでない」と表示できるのは「不検出」の場合のみとなる。 

 

遺伝子組換えだけではなく、最近では特定のゲノムDNA領域を切断して編集する「ゲノム編集」技術も実用化されている。

2020年のノーベル化学賞は、この技術を開発した二人の女性科学者ジェニファー・ダウドナとエマニュアル・シャルパンティエに贈られた。

腐りにくいトマトや筋肉量が増加したタイ(マッスルマダイ)、芽に毒のないジャガイモなどが開発され、一部はすでに市場に出回っている。 

日本の厚生労働省は、ゲノム編集食品は外部から加えた遺伝子が残っておらず、加えた変化は自然界でも起こりうるもの(突然変異など)であることから、安全性審査の対象外とすることとし、2019年10月1日から販売が解禁されている。

 

再び遺伝子組換えとゲノム編集を考える

自然の摂理を離れた、いわば神の領域にまで人類が踏み込んだとも考えられる遺伝子組換え(遺伝子改変)。

そして、自然界の突然変異と同様に、自己の遺伝子内での変換だけというゲノム編集

遺伝子改変生物やゲノム編集生物が万が一自然界に放出された場合、生態系だけでなく、人間の健康にも影響は及ぶだろうが、想定さえもつかない。

カルタヘナ議定書に加盟し、COP10の議長国となった日本でも、除草剤耐性などの性質を有したこれらの遺伝子組換え品種が輸入農産物などからこぼれ落ちたりして、私たちの知らぬ間に自然界にも広がりつつあるという。

安全性には配慮されているとはいえ、その影響の本当のところは誰も確認できていない。

かつて、自然界に存在しない物質フロンを創造し、その利用価値から夢の物質とまで称讃されたにもかかわらず、それがオゾン層破壊の元凶となった経験を私たちは忘れてはならない。前回記事の「ノーベル賞のその後」で示した緑の革命DDT農薬。

私たちの現代科学、人間の知恵とはその程度なのだ。

 

ここまでの記事は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の第1章「現代に連なる略奪・独占と抵抗」第3節「先進国・グローバル企業と途上国の対立」に掲載の「品種改良と遺伝子組換え」、「バイオテクノロジー企業の一極支配」、「途上国と先進国の攻防」および「遺伝子組換え生物の安全性をめぐって」などを参考としています。

 

詳細は、上記の拙著をご覧ください。

目次(構成)などは、下記記事からどうぞ。

 

bio-journey.hatenablog.com

 

(以下、2023/03/30追記)

より深く知りたい方のご参考までに    

遺伝子組換えやゲノム編集については多くの書籍が刊行されているが、本記事に関連するものでは例えば以下などがある。

 

青野由利『ゲノム編集の光と闇 人類の未来に何をもたらすか』筑摩書房、2019年

「エコロジスト」誌編集部(編)『遺伝子組み換え企業の脅威 モンサント・ファイル』緑風出版、1999年

河野和男『自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?』新思索社、2001年

小島正美(編著)『誤解だらけの遺伝子組み換え作物』エネルギーフォーラム、2015年

久野秀二『アグリビジネスと遺伝子組換え作物 政治経済学アプローチ』日本経済評論社、2002年

 

光るメダカで逮捕者 ー遺伝子組換えとカルタヘナ法

遺伝子が組み換えられて体が赤色に光るメダカを違法に飼育するなどしたとして、メダカ販売店経営者など計5人が逮捕されたという(2013年3月8日、警視庁発表)。

カルタヘナ法による国の承認を受けずに、遺伝子組換え生物を飼育・販売などしたもので、同法による逮捕者は初めてだそうだ。

それでは、遺伝子組換え生物とは、そしてカルタヘナ法とは何か、みてみよう。

 

目次

 

品種改良

人類は古代から、野生の植物を農作物として栽培したり、鑑賞用の園芸種として栽培してきた。野生動物も、家畜や愛玩動物として飼育してきた。

その過程で、人類に都合の良い形質(たとえば植物であれば収穫量、耐病害虫性、味や見かけなど、動物であれば多産系、肉付き、搾乳量、従順さなど)を有するものを選択して子孫を残したり、掛け合わせ(交配)してきた。

これが、「品種改良」だ。

すなわち、品種改良は、人間にとって好ましい形態や性質などを持つ個体同士を繰り返して交配させて理想形に近づけていく方法であり、園芸植物や農作物、家畜などでは盛んに行われてきた。

この品種改良は、あくまでも受粉や受精など「自然の摂理」に基づいている。

確かに、レオポン(leopon)(雄ヒョウと雌ライオンの雑種)など、自然界では生じることのない種を人類は作り出した。

しかしそれは、地理的環境などにより自然界では交雑することはほとんどないだけで、同じネコ科同士で生物学的には近縁だ。また一代雑種F1には子孫を残す能力はく、仮に自然界に放出されても生態系には影響はないようだ。もっともこれも実際には、繁殖能力がないとも言い切れないようだから、話は複雑だが。

 

緑の革命

1940年代から60年代にかけて世界各地で行われた「緑の革命」は、穀物やジャガイモなどの高収量品種を導入して飢饉を救おうとする農業革命だ。

20世紀の第二次世界大戦後でも、東南アジア各国をはじめ世界では食糧不足に悩まされ、飢餓が蔓延していた。大戦後の日本も、途上国といわれる国々と同様に大変な食糧不足だった。その日本にやってきた連合国軍司令官ダグラス・マッカーサー進駐軍の中に、米国農務省天然資源局のコムギ専門家サミュエル・セシル・サーモンがいた。

サーモンは日本で16種類のコムギを収集したが、その中に「農林10号」という丈の低い短稈種(たんかんしゅ)の品種もあった。これが基となり、化学肥料を与えて2倍以上も収量が多くなっても倒れない短稈の新品種コムギが誕生した。

ロックフェラー財団の支援により、コムギのほかにもコメ、トウモロコシなどの高収量品種が誕生し、1960年代から80年代に発展途上国では生産量が飛躍的に増大し、飢餓も克服されたかにみえた。

米国の国際開発庁長官ウィリアム・ゴードは、この記録的な収穫量改善を「緑の革命」と名付けた(1968年)。

これを主導したノーマン・ボーローグ博士は、1970年にノーベル平和賞も受賞している。

一方で、世界銀行や各国の援助機関などに支援された途上国では、夢の高収量品種に改良されたコメやコムギ、トウモロコシなどを競って作付けしたが、同じ形質の作物を栽培するモノカルチャー(単一耕作)のために、ひとたび病虫害が発生すると作付けは全滅した。

また、収穫量増大のためと、矮性(わいせい)品種が日光をめぐって雑草に負けないようにするためには、大量の化学肥料や除草剤などの使用が必要となった。しかし同時に、これらによる土壌劣化も引き起こし、以前よりもかえって飢饉が激しくなった。

そのほか、農民の経済的負担増大と多国籍アグリビジネス企業との関係などもあり、緑の革命は今日では必ずしも成功との評価は与えられていない。

この詳しいことは、別の機会に!

いずれにしろ、緑の革命も、自然の摂理に従った品種改良の結果に負うところである。

 

遺伝子組換え

これに対して、「遺伝子組換え」は、遺伝情報を伝えるDNA内から人類が利用できる遺伝子を取り出して、全く別の生物のDNAに組み込む技術だ。

自然の摂理に則った”伝統的”な「品種改良」に対して、”近代的”な品種改良技術である「遺伝子組み換え」は、自然界では起こりえない生物種の生産をも可能にするもので、神の領域に踏み込んだともされる。

「遺伝子組み換え生物」(Genetically Modified Organism: GMO、Living Modified Organism: LMOなどと呼ばれているが、このブログ記事では、以下LMO。)は、「バイオテクノロジー(バイテク)」により遺伝子が改変された生物のことだ。

今回の光るメダカ事件では、ミナミメダカの遺伝子の一部がサンゴに由来するものに組み換えられ、赤色に光るのだという。展示会などでは、1匹5万円や10万円で売られているケースもあったようだ。

台湾の観賞魚販売業者タイコン社は、2001年にメダカに発光クラゲの緑色蛍光タンパク質遺伝子を組み込んで、全身が蛍光色を帯びる「エメラルドフィッシュ」を生み出した。

日本でも、発光クラゲの蛍光たんぱく質の遺伝子をカイコに組み込んだ「光る絹糸」が、1999年に京都工芸繊維大学で開発された。農業生物資源研究所ではクラゲのほかにサンゴの赤色やオレンジ色の蛍光タンパク質遺伝子を組み込むなど、様々な絹糸を開発している。

 

青いバラ

世界中の愛好家によって永年にわたり品種改良が重ねられてきた園芸植物バラでも、遺伝子組換え技術で自然界には存在しない青色のバラがサントリー社(日本)によって開発されている。

それまで、「青いバラ」は英語で、不可能なこと(存在しないもの)を意味するほどだった。

研究者は、青色の色素をもった植物の中から青色遺伝子(アントシアニン色素の中のデルフィニジン成分)を取り出して、バラに導入した。ペチュニアやパンジーの青色遺伝子を導入したが、残念ながら花は赤色や黒ずんだ赤色。

その後も、試行錯誤を繰り返し、2004年にやっと「青いバラ」の開発に成功した。1990年のプロジェクト開始から実に15年近くの歳月を要したことになる。

品種改良のバラ「ラプソディ・イン・ブルー」青というより紫(大船植物園にて購入)

本ブログでは、掲載画像は自撮り画像使用を原則としているため、光るメダカや青いバラの写真は掲載できません。悪しからず!

 

ノーベル賞のその後

ノーマン・ボーローグノーベル賞を受賞した緑の革命も、時間の経過とともに悪影響・弊害が明らかになってきた。

類似の例は、スイス人化学者パウル・H・ミュラーが有効性を発見して、世界中で大量に使用された殺虫剤DDTがある。これにより、ミュラー1984年にノーベル医学・生理学賞を受賞した。

しかし、有名なレイチェル・カーソン『サイレント・スプリング(沈黙の春)』(1962年)によって、その悪影響が告発された。現在、DDTは、先進国では製造・販売が禁止されているが、途上国では依然としてマラリア対策のために使用されている。

歴史の評価は難しい!

ノーベル賞にかぎらず、国民栄誉賞、各種勲章・・・どれも悩ましい。

国葬に値するかどうかの論争もあったけどね。

 

ここまでの記事は、拙著『生物多様性を問いなおす 世界・自然・未来との共生とSDGs』(ちくま新書)の第1章「現代に連なる略奪・独占と抵抗」第3節「先進国・グローバル企業と途上国の対立」に掲載の「農業革命と緑の革命」「品種改良と遺伝子組換え」、および第3章「便益と倫理を問いなおす」第2節「生物絶滅と人間」に掲載の「眠れぬ夜にカの根絶を考える」などを参考としています。

 

ふぅ~ ここまでで、本日は力尽きた。時間がな~い!

カルタヘナ法」までたどり着くことできず。ご容赦願います。

赤いメダカでなぜ逮捕者が出たのか。カルタヘナ法とは。

そして、遺伝子組換え生物(食品も含む)の影響や取り扱いをめぐる先進国・多国籍企業と途上国の対立など、については、また次回とさせていただきたい。

 

先を急ぎたい方は、上記の拙著をご覧ください。
目次(構成)などの概要は、下記記事からご覧ください。

bio-journey.hatenablog.com

 

 

ニホンオオカミは犬との混血?


NHKテレビ「ダーウィンが来た!」で「解明!本当のニホンオオカミ」(2023/2/19放送)を観た。

120年ほど前に絶滅したニホンオオカミ。残されていた標本は、実はイヌと交雑したものだったと判明した、というものだった。

目次

 

ニホンオオカミの標本

かつては日本全国に生息していたニホンオオカミ(北海道はエゾオオカミ)だが、その姿を伝える写真、毛皮、標本などで現在まで残っているものは非常に少ない。

 

そのひとつが、ライデン(オランダ)の国立自然史博物館(現、ナチュラリス生物多様性センター)所蔵の標本だ。

これは、「タイプ標本」と呼ばれる重要な標本である。
タイプ標本とは、新たに生物が発見されたときに、その生物種が何であるか確定(同定)するための国際基準となる標本だ。
すなわち、タイプ標本と形質などが同じであれば同種、異なれば異種と判断する際の基準だ。

 

ライデンにあるニホンオオカミのタイプ標本は、江戸時代のもので、これを送ったのは、伊能忠敬の日本地図を持ち出そうとしたシーボルト事件で有名なシーボルトだ。
シーボルトは、このオオカミ標本をはじめ、多くのものをライデンに送っている。

本ブログのテーマでもある「生物多様性」に関連すると、アジサイを初めとして多くの植物(標本だけでなく、生体も)もオランダに送付しており、日本に来た「プラントハンター」の一人ともいえよう。

詳細は、拙著『『生物多様性を問いなおす』の第1章「現代に連なる略奪・独占と抵抗」第1節「植民地と生物資源」の「日本にも来たプラントハンター」を参照願いたい。
後日、このブログでも取り上げてみたい。

 

ところで、なぜライデンかと言うと、シーボルト自身はドイツ人だが、当時の日本との交流はオランダに限定されていたため、オランダ商館の一員として来日し、長崎の出島で暮らしていたため、オランダに送付したからだ。
そしてシーボルトは、送付した日本の文物を収蔵した「日本博物館」の建設を夢見ていたというわけだ。

 

日本博物館を夢見たシーボルト展(2016年、江戸東京博物館にて)

 

先のNHKテレビ番組では、この標本の骨のDNAを最新機器(DNAシーケンサー)で調べたところ、イヌとの交雑(雑種)が判明したという。

ということは、仮にニホンオオカミが残存していて、それが発見されたとしても、タイプ標本と異なればニホンオオカミとは認定(同定)されなくなってしまう?
これは大問題!

日本人のルーツ探しなどにも登場する近年の遺伝子解析、恐るべし!

 

最後のニホンオオカミ

実は、ニホンオオカミの標本は、ライデンのタイプ標本を含めて世界で6体しか残っておらず、そのうち国内には、国立科学博物館東京大学和歌山県立自然博物館の3体が残るのみだという。

ライデン以外の標本が、正真正銘のニホンオオカミであることを祈る。

国外の3体の標本は、ライデンのほか、大英自然史博物館(イギリス)、ベルリン自然史博物館(ドイツ)に所蔵されている。

このうちの大英自然史博物館の標本が、日本で絶滅した最後の雄の個体の剥製標本だ。

本州・九州・四国に広く生息していたニホンオオカミは、明治末期に奈良県吉野の山中で捕獲されたのを最後に絶滅したといわれている。
この最後の雄のニホンオオカミの剝製標本が、ロンドンの大英自然史博物館に収蔵されている。1905(明治38)年1月23日、奈良県小川村(現在の東吉野村)鷲家口でマルコム・アンダーソンという若い米国人が猟師から8円50銭(現在価格で約17万円)で買い求めたものだ。彼は、ロンドン動物学会と大英博物館が東南アジアに派遣した、たった一人の動物学探検隊員だった。

 

北海道でも、1896(明治29)年に毛皮が輸出された記録を最後に、エゾオオカミが絶滅したと考えられる。

 

絶滅したエゾオオカミの剝製(北海道大学植物園博物館にて)

しかしニホンオオカミが最後に捕獲された紀伊半島山間部には、現在でもオオカミが生息している、ということを信じて探索している人々が、時々テレビ番組などで取り上げられたりもする。

現在でもオオカミが生息していそうな紀伊半島の山地(大台ヶ原大蛇ぐらにて)

 

オオカミ絶滅の原因には、毛皮採取の狩猟ため、家畜を襲う害獣駆除のため、ジステンバーなど伝染病のため、森林開発による生息地縮小のため、などいくつかの原因があげられる。
ひとつの原因ではなく、これらの複合とも考えられるが、真相は不明だ。

 

オオカミが絶滅した日本。
絶滅前と絶滅後とでは、何が変わって、何が変わっていないのだろうか。
オオカミだけではなく、自然、生活文化、そして人々の考え方(倫理や信仰も)について再考したいものだ。

この記事は、拙著『生物多様性を問いなおす』(ちくま新書)の第3章「便益と倫理を問いなおす」第1節「生きものとの生活と信仰」に掲載の「オオカミ信仰」を参考としています。

オオカミ絶滅による生態系影響、三峯神社などでのオオカミ信仰、イエローストーン国立公園でのオオカミ再導入などについては、またの機会に!

 

先を急ぎたい方は、上記の拙著をご覧ください。

目次(構成)などの概要は、記事「『生物多様性を問いなおす』書評と入試問題採用」からご覧ください。

 

より深く知りたい方のご参考までに

オオカミの絶滅などについては、多くの書籍があるが例えば、

 

遠藤公男『ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見』山と渓谷社、2018年